加藤先生葬儀

 加藤先生の葬儀は盛岡市内の円光寺という所で行われました。門を入ると多数の花輪にまず驚きました。桐朋学園、お茶の水女子大学附属時代の教え子たちからもありました。盛岡市の政財界からもありました。その功績の大きさにただただ驚くことでした。
 読経の後、弔辞がありました。4人の方が弔辞に立ちました。盛岡市長からもありました。教育委員会委員長もされていたようです。
 最後は教え子代表の弔辞でした。代表はUm先生でした。加藤先生に呼びかける声から始まりました。Um先生の声がふるえていました。弔辞を聞きながら、加藤先生のことを思い出し、私も途中、涙があふれそうになりました。心に響くものでした。Um先生が加藤先生を慕っていたことが、伝わってきました。
 会場は多数の参列者がありました。多数の著名な大学関係者の姿を見かけました。加藤先生がいかに多くの方に影響を与えたのかを感じることでした。亡くなった方の人徳の大きさを感じさせるものでした。白樺湖にお住まいのN先生が来られていました。加藤先生の直弟子もお二人乗せて、盛岡駅まで送りました。
 石巻から片道3時間ほどかかり、車の運転があまり好きではない私にとっては苦痛でしたが、しかし、葬儀に参加できて本当に良かったと思いました。加藤先生のご冥福をお祈りいたします。
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by shin-pukupuku | 2016-02-11 09:48 | 雑感 | Comments(2)
Commented by ぽんジュース at 2016-02-11 14:08 x
加藤先生の弔問お疲れさまでした。こちらは旧正月で8日が元旦でしたから人の往来はほとんどありませんでした。わたしも昨日は大学で先生のことをひとり偲んでいました。日韓歴史交流の先駆けとなった韓国でのシンポジウムの記録をハングルで読んでいました。1976年12月にその記録がこちらで論文化されていますので、私の生まれた生年月日と同じ頃の出来事になります。実に40年ですね。韓国の先生方にも先生の訃報をお伝えしたら、架け橋となった先生の奥さまも日曜日におなくなりになったとのことで、重ねてありし日を偲ばせていただきました。先生のシンポでの記録に次のような一節がありました。

私が最近読んだ日本の研究者の論文の冒頭に次のような句節がありました。「世界のあらゆる民族のなかで日本人をもっともよく知っているのはおそらく韓国民族であろう。しかし,逆に日本人は韓国民族をほとんど知らないのである。・・・こちら側では向こう側が全然みえず,向こう側ではこちら側がすべて見えているのはどれほどおそろしいことか」というものです。これは,率直で,それでいて,真実の,韓日関係を考えるある日本人の心をそのまま現してくれる文章だと考えます。
日本 歷史敎育에 있어서의 韓國史 [KCI등재]
加藤章 역사교육연구회, 역사교육 20, 1976.12, 125-132 (8 pages)

交流を始めたシンポジウムでのご発言ですが、いまも考えさせられる言葉です。ご冥福をお祈りいたします。
Commented by shin-pukupuku at 2016-02-12 10:30
加藤先生のつないでくれた日韓の歴史教育交流をさらに次の世代につないでいくというのは、ぽんジュースさんの今後の活躍にかかっているのだと思います。加藤先生も期待していることでしょうね。
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