フィールドワーク3日目

 朝、露天風呂で道後温泉の湯質を楽しみ、その後、同部屋だったTさんといっしょに道後温泉界隈を歩いた。道後温泉本館を見ると、まさしく「千と千尋の神隠し」の神様が入る温泉にそっくりであった。ジブリは模したとはけっして言わないそうだ。小雨が降ってきたので、秋山好古と白川氏の軍人の墓を見に行ったが、秋山好古の墓はその名声に比するとかなり小さかった。何故だろうと思ったが、その日の午後に「鎌倉に墓がある」ということを坂の上の雲ミュージアムで発見することになった。
 9時に松山東高校のK先生とお会いした。30代後半の優しそうな方であった。地理が専門で、現在大学院の方へ県教委派遣で研修中ということであった。
 車は私が運転して、まずは伊佐邇也神社へ。関孝和の算額が多数あるということで探したがなかった。ただ、この神社は三大八幡宮として有名だという。H隈先生が好みそうな神社であろう。その後、お遍路さんの巡礼第51番目の寺である石手寺へ。力士像がある門が国宝という。しかし、国宝という雰囲気はなく、ただなんとなく普通にあるという感じであった。三重塔などもあり、雰囲気の良いお寺であった。その後、松山市立正岡子規博物館へ。それが、すごく興味を惹かれる博物館であった。正岡子規の生涯を描いているのであるが、その前には松山の歴史についても少しだけ展示されていた。万葉集で額田王がうたった「にきたつ」が、この松山であることを初めて知った。しかもそれが白村江の戦いにおいて歌われたものだということも。ここでかなり時間をとってしまい、すぐに松山東高校にある明教館へ。東高校は鹿児島で言うと、T丸高校である。明教館に飾られている卒業生を見て驚いた。いかに歴史的に名を成した人が大きいかを感じた。こんなのを学んだ生徒たちはさらに先輩たちへ続こうとするだろうなあと感じることであった。
 その後、松山城へ。ケーブルカーで登ったが、リフトカーが悪天候のために運行中止のために満員であった。松山城の上からは歩いて松山城本丸下まで歩いていった。松山市内が展望できたが、50万都市松山市の広さと大きさを感じさせた。
 食事では私はにしんそばを食べ、歩いて「坂の上の雲ミュージアム」へ。展示物では本物は少なかったが、うまくNHKの「坂の上の雲」を利用して観光資源にしている松山市を感じることであった。
 運転をK先生と代わって、次はみかん農園へ向かった。山間の砥部町にそのみかん農園はあったが、年配のおじいさんとおばさんが迎えてくれた。最初に柿の木、次にキューイ、そしてその先にみかん畑があった。かなり高いところまでみかんの木が続いていて、実感としてみかん畑を学ぶことができた。その後、時間があったので近くにある砥部の断層まで車を進め、空港へ。途中、狭いポールを何度も抜けて、K先生が渋滞を避け、空港近くのレンタカーまで連れて行ってくれた。感謝であった。レンタカーでは、傷のことを告げようとしたが、作業をはじめたので、言われてから事実を話そうと思ったら、会社の方はその傷に気づかなかった。少し罪悪感があったが、早くその場を立ち去りたい自分の気持ちもあった。空港ではめずらしくおみやげをたんまりと買った。七時発の鹿児島行き飛行機に乗り、鹿児島空港へ。ちょうど花火大会の中継がラジオに流れていて、ああ鹿児島にもどってきたんだなあと思うことであった。
 今回のフィールドワークは大成功だった。ガイドの方にすごくめぐまれて、学習内容が深まった3日間であった。行く前は観光気分がかなりあったが、現地の視察をする中で、学習意欲を喚起することとなった。そして、ここで学んだことを、授業をはじめなんらかの機会に伝えていくことが大切だと思った。特に大久野島で学んだ毒ガスという加害の事実は、歴史の学習内容に位置づけていく必要があろう。鹿児島の社会科教育実践で、この大久野島を中心にした加害の事実を教材化した報告をまだ聞いたことがない。早いうちにこの教材化が進むことを期待している。
 県社研のフィールドワークは、観光地だけではなく、社会科に関わりのあるところを訪問し、ガイドを充実することで、けっして一人では学習できない内容を学ぶことができる。そんなことを実感させる今年の旅となった。企画したSさんに感謝したい。

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by shin-pukupuku | 2013-08-27 09:28 | 教育関係 | Comments(2)

フィールドワーク2日目

8時半に集合し、出発準備。その際中に、車の横に傷があることを発見。そういえば、きのうの鞆の浦での駐車場を出るときに、衝撃があったのは、これだったのかと思った。保険証をすぐに見ると、傷についてはほとんど書かれていない。きのうの衝撃の時に、警察を呼んで自損事故の処理でもしてもらえればよかったかなあと思いながら、車に乗り込んだ。この日は、「チームK徳寺」が運転するという。Kさんがハンドルを取って、M元さんがナビをして、水島コンビナートへ。
 最初は、旭化成の工場へ。工場ではナフサからポリマーなどへ分かれ、それからポリプロピレンなどの生成品となり、それがポリエステルになるという説明をDVDと女性の案内人から受けたが、化学製品の名前がよくわからず、あまり理解できない部分も多かった。ただ、ナフサはコンビナート全体から融通するために海底トンネルをつくっているということが新たに理解できたことであった。そしてそれが1年ほど前に事故を起こしたことも偶然前日のニュースと関連づけて学ぶことができた。
 その後、JFEスチールへ。工場敷地はとてつもなく大きくて、構内も大きな道路が何本も走っていた。案内の初老の方はかなり元気があり、小学生への説明の仕方までつけて解説してくれた。工場見学では、ワゴンに乗って、溶鉱炉から出る鉄のオレンジ色をしたかたまりや不純物として出た砂の山、さらに純鉄を入れる貨物列車なども見せてくれた。さらに、鉄を延ばす工場内見学まで連れてくれた。工場内は熱くて、オレンジの鉄が通ると熱気が伝わってくるという状況であった。丸い棒状の上を何度もまわされて、また水で冷やされて、延べ板になっているようであった。
 その後、瀬戸大橋をこえて、途中PAでうどんを食べた。Fさんを次の丸亀駅で降ろし、私たちは丸亀の伝統的工芸品である団扇博物館に足を伸ばした。そこから、金比羅へ。駐車場に車を止めて、琴平神社を目指した。坂がきついとは聞いていたが、これほどまでにきついとは思っていなかった。夏の暑さも重なり、汗がドクドク出てくる。そして登り切ったと思ったら、それはまだ途中でさらにその上にあるという状況で、たしかにきつかった。Tさんはかなりきつそうにしていた。私はまだ元気がある方であった。いちばん上はたしかに眺望がすばらしく、「二十四の瞳」の大石先生を思い出した。
 金比羅さんを出るときは四時半ぐらいであったが、近くにあった現存する芝居小屋を見に行った。Sさんが行きたいと思っていたらしい。1835年建造。中では別の団体といっしょになり、ガイドがかなりおもしろおかしく説明してくれた。そのために、この芝居小屋に興味を惹かれた。今でも歌舞伎が行われ、中村勘九郎の大好きな小屋だったらしい。歌舞伎にかなり興味を持つことができた。
 次に満濃池まで車を進めた。満濃池が古来より人工的に作られてきたという説明を読んで、その広さに感動することであった。今年は渇水のために、池の水位がかなり低くなっていたのが気になった。その後、道後温泉の宝珠ホテルまで一路帰ろうとナビを入れると、そこから二時間半かかるということに、全員驚いた。距離感覚のない社会科教師であった。慌ててホテルへ連絡して急いだ。途中までは、Kさんが運転していたが、その次は私に代わって、高速を飛ばした。時間も二時間15分ぐらいになったのでこのまま急げばいいかなと思っていたら、いきなり大雨。心臓が止まるかと思った。前が見えないぐらいのゲリラ豪雨である。心臓をバクバクさせながら隣のM元Tのアドバイスをもとにして、なんとか事故もせず走り抜けることができた。そして、8時10分過ぎにホテルへ到着。すぐに食事となり、生ビールを2杯飲んで、よか気分で温泉へ。道後温泉の湯質はすばらしく、私ははまりそうな温泉になりそうだった。同室のTさんは弟に会いに行くといって、出て行ったので、私は10時半過ぎには布団に入ったが、明かりが気になって、熟睡できなかった。

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by shin-pukupuku | 2013-08-27 09:27 | 教育関係 | Comments(0)

フィールドワーク初日

 朝6時半に家を出て、空港へ急いだ。この日から2泊3日の県社研主催フィールドワークである。参加者は私を入れて6名。
 1時間近くバスのような小型プロペラ機で飛んで、松山空港へ。愛媛大学のF氏と会い、みんなに紹介して、8人乗りのワゴンアルファードに乗る。当初この旅行企画者のSさんが運転手の予定であったが、急遽、私が運転手となった。しまなみ海道を通って、大久野島へ急いだ。なんとかフェリーに間に合い、大三島の盛港から大久野島へ。瀬戸内海は内海であるゆえにかなりの凪状態で、大きな湖のような感じであった。そして海のきれいなこと。先日訪問した甑島の海と変わらないぐらいきれいであった。
 港に着くと、そこには案内係の年配の方が待っていた。この方の説明はかなりあついものがあった。元高校社会科教師で、説明もわかりやすかった。最初に発電所跡に連れて行ったが、大きな倉庫のような建物が今でも現存していた。取り壊しの計画もあったようだが、毒ガス島の歴史を伝えるためにその取り壊しは中止になり、しかし保存もしないということになったらしい。この島で1929年から毒ガスが作られ、ジュネーブ条約にもかかわらず、大陸で使用された歴史を学んだ。この島は日本軍による加害の歴史をまさしく伝える場所であった。しかし、被害の地である広島長崎に比べると注目を浴びてなくて、参加者の中にはこの事実を初めて知ったという方もおられるぐらいであった。時間があればもう少し滞在して学習を深めたかった。しかし、この島に来れたということだけで私は満足であった。
 その後、尾道から鞆の浦へ向かった。「崖の上のポニョ」の舞台となったと言われる場所である。対潮楼から見た景色は絶景で、朝鮮通信使が必ず寄ったという場所らしい。街を散策したが、とても雰囲気が良く、私は昔ながらの町並みを残すこの街と景色をかなり気に入った。また訪問したい場所であった。
 その後、倉敷へ向かった。ビジネスホテルへ宿泊し、到着するとすぐに近くのお好み焼きへ向かい、Fさんも交えて参加者全員で乾杯した。ビールがとてもうまかった。
 大久野島と鞆の浦の2カ所の訪問はとても印象深く、この日の見学だけで、このフィールドワークは成功したと思った。

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by shin-pukupuku | 2013-08-27 09:25 | 教育関係 | Comments(1)

内田氏の映画評

 内田樹氏のブログにアップされた「風立ちぬ」映画評を読みました。アマノジャク氏に先日お会いしたときに、「風立ちぬ」よりも「奇跡」が良かったという感想を聞きましたので、私もそうかもしれないなあとふと思ったところでした。
 しかし、内田氏の評を読むと、この映画の深さというものを感じさせられます。1920年代の時代状況を背景としてきちんと描写しており、戦後の日本社会が忘れた生活の営みがそこには描かれているという指摘に首肯することでした。そして、この映画がどことなく印象的に今でも脳裏に刻まれていること、それがもっともこの映画のすばらしさを物語っているのだと思いました。
 ぜひ、内田樹氏のブログで、この映画評を読んでみて下さい。
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by shin-pukupuku | 2013-08-20 09:09 | 映画 | Comments(0)

眉山を見ました

 徳島訪問をし、眉山からの風景をこのブログで紹介しましたが、その後すぐに、NHKBSで映画「眉山」が放映されました。録画していた作品を本日見ました。
 さだまさし作品の映画化ですが、徳島の眉山と阿波踊りが印象深く映画化されていました。その風景と、作品のストーリーがうまくマッチして、素敵な作品に仕上がっていました。
 主演の松嶋菜々子とその母役の宮本信子の演技も素敵で、感動的でした。涙が何度となく出てきそうになりました。
 ストーリー展開も予想できるものなのですが、それがまたとても視聴者をホッとさせるもので、最後に「娘河野咲子が私の命でした」という母からの献体として医学生に向けた言葉を見て、この映画のテーマを感じさせました。
 家族の歴史は、次の世代の命につながって、さらにその次の世代につながっていく-その素敵なこと、そして人生はその素敵なことの連続であるということをこの映画を見て感じました。普通のことなんですが、それが阿波踊りとマッチしたときに、浮き彫りにされていたと思います。
 映画を見て、「徳島市って、なんて観光資源の少ないところなんだ」とフィールドワークで思った自分を恥じました。
 
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by shin-pukupuku | 2013-08-17 18:34 | 映画 | Comments(1)

眉山で…

 学会が終わって徳島市まで足を伸ばして宿泊しました。朝からレンタサイクルを借りて、しかも電動式自転車に初めて乗りました。快適ですね。疲れることなく徳島市内をまわることができました。
 ところが、徳島市内というのは観光資源が実に少ないですね。ホテルにある観光客向けのパンフレットをもとにして、訪問地をリサーチしたのですが、当日は月曜日ということもあり、博物館関係は休館も多く、結局みてまわったところは、眉山とモラエス記念館、そして、阿波踊り会館、徳島城公園だけでした。2時間あまりで見て回れるだけのところでした。
 眉山はさだまさしの小説「眉山」が映画化されて、少しだけ有名になり、ケーブルカーから見た景色もたしかにきれいなのですが、眉山そのものには何も観光資源がありません。同じケーブルカーに乗って眉山まで登った家族連れが大きな声で、「何もないね」「何もないね」と連呼していました。
 ただ、モラエス記念館というものがあり、明治期から大正にかけて徳島で過ごしたポルトガル人に興味を惹かれました。徳島版「ラフカディオ・ハーン」です。
 熱い日差しもあって、自分の年齢の考え、あまり無理しないでフィールドワークを終えました。本当は、吉野川の近くまでサイクリングしようかなと思ったのですが…。

 下の写真は眉山から見た徳島市内です。吉野川が見えますね。
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by shin-pukupuku | 2013-08-07 08:40 | 雑感 | Comments(0)

ドイツ館で

 昨日、鳴門市にあるドイツ館と賀川豊彦記念館を見学しました。映画「バルトの楽園」を見た方は覚えていると思いますが、第一次世界大戦中に中国チンタオで捕虜となったドイツ兵を、板東捕虜収容所に収容したわけです。ハーグ条約に従って日本はドイツ兵の捕虜に対応するわけですが、地域との交流を通して、日本にドイツ文化が伝わったというのは有名な話です。
 たとえば、第九の演奏。日本では年末が近づくとこの作品が演奏されますが、初めて日本に紹介されたのもこの板東の地でした。私は社会科の授業で紹介していますが、安井俊夫の実践が有名です。
 このドイツ館での展示は、いかに当時の日本が捕虜を大切に扱ったかを暗に示していましたが、よく見ると、当時の松井所長(会津出身)の個人的な配慮によって捕虜への待遇は改善されているようです。
 ここでは管理する立場に立つ人に学んでほしいと思いましたね。
 軍部上層の指示に従ってはいるが、実質的には現場の状況を大切にすると言うやり方です。
 たとえば、海水浴をのぞむ捕虜に対して、上層部には労働によって汚れた足を洗わせるという報告をして、実際のところは捕虜が海水に入ることについては、偶発的なことだとしているところなどが、見習ってほしいところ。人権を大事にする軍人が当時の軍部にいたというのは、誇れるところかもしれませんね。
 下の写真は、そのドイツ館です。
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by shin-pukupuku | 2013-08-05 06:35 | 雑感 | Comments(0)

 先日、待ちに待っていた宮崎駿作品「風立ちぬ」を見ました。

 これまでとは違うジブリの作品でした。堀越二郎という零戦開発者の人生を描いたものでしたが、たしかにジブリで、ファンタジーのない作品というのは珍しいですね。

 宮崎駿は自分の作品を見て泣いたのは初めてだと言っておりましたが、たしかに最後は涙が出てきます。
 しかし、なぜ涙が出るのか、よくわからないのです。

 その涙は、長い人生を歩んできて年を重ねてきた人にはわかると思います。自分の人生はどうだったのかなあ・・とふり返るときに、何かに打ち込んだ自分の軌跡を思い浮かべることができるのかもしれません。
 テーマははっきりしています。「生きねば」と予告編でありましたように、生きることの価値でしょう。零戦の開発に尽力する主人公の一方で、妻は結核に冒されていきます。零戦の開発は、太平洋戦争で多くの若者を戦場で死へと導いていきます。そして、戦争で予算を削られていった結核療養所では、妻の病は回復せず、向こうに行ってしまうのです。残された主人公は、夢の中で妻を見ます。

 この映画では夢の場面が何度か出てきます。そして、現実の生活。私たちが生きている今は、果たして現実なのか、夢なのか。時代に翻弄される私たちの命。まさしく、3・11後のわたしたちの姿が重なります。
 そんな思いが脳裏を駆けめぐって、自然と涙が出てしまうのかもしれません。
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by shin-pukupuku | 2013-08-01 18:50 | 映画 | Comments(0)