台湾の酒事情

 最近、紹興酒を飲んでいます。12月の台湾訪問の時にいただいたものです。甘ったるい味なのですが、飲んでいるうちに深みのある味で、少しはまっています。先日も研究会後のスカイプによる飲み会でも、私の方は結構飲んでしまいました。ところが、翌日は二日酔いはまったくありませんでした。
 12月の台湾訪問で感じたことをこのブログでも書いた一つが、台湾の酒事情でした。Um先生と居酒屋風のところを台北駅の南側のエリアで探しましたが、結局見つからす、コンビニで台湾ビールを一人部屋で飲むという結末になりましたが、その時に、台湾は酒文化ではなく、食文化ではないかと書きました。
 最近読んだ文庫本、下川裕治『週末台湾でちょっと一息』に次のような一節がありました。
「酒事情でいえば、台湾は東南アジアに似ているかもしれない。食事と酒が結びついていない。だいたいアジアのなかで、酒中心の小さな店がひしめいているのは、日本と韓国ぐらいなものだ。仕事帰りの居酒屋でビールや焼酎の水割り…といったおじさんは、台湾の路上で天を仰ぐことになってしまう。」
 まさしく台湾の路上で天を仰いだおじさんは私だったようです。台湾で有名な夜市にも酒は基本的に売っていないようです。みなさん、食事を楽しんでいるのです。酒を買いたい人は、コンビニで買ってきて夜市で飲むというスタイルのようですよ。

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by shin-pukupuku | 2017-01-31 11:19 | 雑感 | Comments(0)

女子力

 朝日新聞のFフォーラムで取り上げられているのが、タイトルの「女子力」です。私が初めて聞いたのは、娘からでした。教育実習を終えた娘が、掃除をまじめにしない女子生徒に「女子力を高めないとだめでしょう」と言って、指導したと聞いたのです。その時、「女子力?」と思いましたが、妙に気になる言葉になりました。
 女子力という言葉は、昔からある言葉ではありません。松井剛(一橋大学)によると、2002年に10代から20代向けの女性誌『non-no』からこの言葉が使用されたようです。一般的になってきたのは、この5,6年のようです。
 私が違和感を感じたのは、「女子力」という言葉に、男性受けのために家事力を高めるというジャンダー感を感じたからかもしれません。どことなく嫌悪感を持ちました。朝日新聞のデジタルアンケートでも、この言葉に対して「どちらかというとよくない、よくない」が51.0%です。「いい、どちらかというといい」は27.6%ですので、この言葉に問題性を感じている人が多いことを示していると思います。
 新しい言葉はその社会の状況を反映するものが多いですが、この言葉は女性の社会進出に対してブレーキをかけようとするにおいがしますね。

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by shin-pukupuku | 2017-01-30 09:09 | 雑感 | Comments(0)

 遠藤周作の名著『沈黙』を巨匠マーティン・スコセッシが映画化した作品です。私は、この小説をたしか学生時代に読んだ記憶があります。この小説は衝撃的な作品でした。人間の内面の葛藤を描こうとした優れた作品だと思いました。信仰心のために、踏絵を踏まず、命を奪われる信者の選択とその宗教の意味、そしてその信者の信仰心にもかかわらず沈黙を続ける神。今でも、その心の葛藤の描き方に驚いた記憶があるのです。
 今回、この映画がその部分をどのように描くのか、興味を持ちながら映画を見ました。
 一言で言うと、人間の内面を映像で描くのはやはりむずかしいという感想でした。スコセッシ監督はさまざまな場面で俳優の演技力や言葉の力でその内面を描こうとしますが、それでも小説には及んでいないと思いました。原作の衝撃が映画では伝わらない気がしたのです。
 一つ、考えさせられたのは、キチジロウの存在でした。窪塚洋介がなかなかの演技力を見せていましたが、キチジロウは何度も絵踏をするのです。そのたびに神にその罪を告白します。他の信者は絵踏ができず、犠牲者となっていく中で、キチジロウだけは絵踏みを続け、生き続けるのです。そしてこの映画の主人公宣教師ロドリゴにまとわり続けるのです。役人にロドリゴの存在を知らせるという裏切りも行います。まるで、ユダのようです。
 しかし、キチジロウを見ていくと、次第にキリストの顔に似ているのです。私には、沈黙の神は、キチジロウとなって現れているような気がしました。おそらく神は、命の大切さを伝えていたのだと思います。それは絵踏みをすることでイエスやマリアの絵を踏んでもかまわない。生きていくことが大事なのであり、信仰心は心の中にあるのだということを伝えていたと感じました。
 これは、現代社会に通じるものがあると思いました。イスラム教のために殉教と称してテロを続けるイスラム国をはじめとするイスラム原理主義は、まさしく命よりも信仰心に価値があるように教えています。生きていくこと、つまり命のためにいかに生きていくか、いかに信仰していくかということが、本来の宗教なのだと思います。

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by shin-pukupuku | 2017-01-29 11:04 | 映画 | Comments(1)

教え子の死

 今年40歳になる教え子がなくなりました。早すぎる死でした。そのことを知ったのは、亡くなってから半年後。SNSで知りました。彼女のSNSが投稿されなくなったので、変だなと思っていた同級生が、亡くなった教え子の夫(外国人)が書いた追悼の英文で知り、それをSNSで流してくれたのです。
 その教え子はスペイン人の母を持つハーフでした。私が教えたのは27~8年前のことです。自分が学級担任したわけではありませんが、教科担任でしたので、覚えているのです。
 1年生の世界地理で、ヨーロッパの学習の時に、彼女はお母さんにお願いして、スペイン料理であるパエリアを作って持ってきてくれたのです。その学級みんなでパエリアをいただいて、スペインの勉強をしました。彼女のその時の嬉しそうな笑顔を今でも思い出します。笑顔の素敵な女性でした。
 夫による追悼文でも、彼女の笑顔が素敵であったことが書かれていました。外国在住であったこともその時に知りましたが、その早すぎる死にショックを受けました。手を合わせて冥福を祈りました。彼女の笑顔が頭の中にちらついて、次第に涙腺がゆるんでしまいました。
 彼女はきっと家族から愛されていた人生だったのでしょう。夫からの追悼文から随所にそのことを感じることでした。

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by shin-pukupuku | 2017-01-26 09:37 | 雑感 | Comments(0)

弁護士布施辰治

 図書館で何気なく見ていたら、この数年気になっていた映画「弁護士布施辰治」のDVDがありました。これはぜひ見ようと思い、借りてきました。
 布施辰治は石巻市蛇田の出身です。石巻から民衆側に立つ弁護士が誕生したことは石巻の誇りだと思います。映画の中でも、布施に影響を与えた祖父のことが紹介されていました。正月を迎えるにあたって、区長?として一軒一軒をまわって、生活状況を確認していたようです。そして貧しい家庭にはそれなりの援助をしていたということでした。それを目にした布施辰治は、民衆側に立つことのすばらしさを教えてもらったのではないかということでした。
 「生きベくんは民衆のために 死すべくんば民衆のために」という言葉が、布施の生きざまを示していたと思います。名誉や金ではなく、布施は神の前で民衆側に立つヒーローを目指したのでしょう。しかし、京大生の息子はそのために、学生運動の嫌疑で捕まえられ、1944年に獄死したようです。戦後も布施は韓国に出向いて弁護活動を行ったりしたようです。
 石巻地区の中学生向けの歴史資料集にも布施辰治の記事は掲載されていました。そこでも「常に弱者の側に立って、農民・労働者・借家人・朝鮮人などのために奔走した」と書かれていました。「石巻はもとより全国に辰治の自由と人権を守る思想を普及させるため、辰治資料館の建設等の運動が進められている」という記述もあり、驚きました。しかし、現状では完成していないようです。

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by shin-pukupuku | 2017-01-24 09:39 | 映画 | Comments(0)

トランプ大統領就任

 ご存知の通り、トランプ大統領が誕生しました。みなさんは、トランプ大統領についてどのように考えておられるでしょうか。
 私は、アメリカ国内での反対運動、世界各地における反対運動を見ると、トランプ大統領は何かの致命的なミスで、途中で大統領職を投げ出してしまうのではないかと予想しています。もしくは高齢ゆえに、健康面からの引退、あるいはアメリカ社会でこれまで何度か起こってきた暗殺などもあり得るでしょう。その時期がいつごろになるかは、予想できませんが、1年間はトランプの政策に喝采の声を挙げる人々も、それ以後の社会状況や福祉的な面から、きっと不満を持つようになるのではないかと思います。
 そうなると、副大統領がキーマンになるのではないかと予測しています。副大統領は、マイク・ペンス(57)だそうです。下院議員やインディアナ州知事を務めたベテランで、政治に精通しているという朝日新聞の解説に書かれていました。共和党の保守で、福音派と呼ばれる宗教右派からの信頼が厚いのだそうです。
 このマイク・ペンスに注目していく必要があるのではないかと私はなんとなく思います。トランプを背後から支える人物ですが、実際のところは政策的な調整に忙殺しそうです。
 反トランプは国境を越えて、世界中が不安を感じています。その一挙手一投足が注目の的となってきそうですが、マスコミを敵対視し、SNSを利用した初めての大統領になるのは確実ですね。

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by shin-pukupuku | 2017-01-23 09:27 | 雑感 | Comments(1)

 先週から見よう見ようと思っていた映画でした。今朝の新聞に大きく広告されているのを見て、これは行かないといけないなあと思い、映画館に足を運びました。久しぶりの映画でした。
 終わった後、なんとも言えない感動を感じました。涙も出てきました。
 タイトルの映画は、「この世界の片隅に」生きる一人の少女の生きざまを描いた作品です。片隅に住む少女は、絵を描くのが好きで上手な少女です。嫁入りして呉に嫁ぎますが、戦争という時代に翻弄される話です。
 歴史は個人の人生の足元を流れていると私は思います。一人一人に人生ドラマがあることを私たちは決して忘れてはいけません。その個人に焦点化した作品ゆえに、時代の中で必死に生きようとする主人公の姿が心を打つのだと思います。
 作品の中で何度か、この世の生き様は夢なのか、現実なのかと思うシーンが出てきます。そして、空襲の現実までもが、色のついた仮想のものとしてスケッチに描こうとします。
 人の命はある日突然、姿を消してしまいます。しかし、時間は滔々と流れていくのです。まるで何事もなかったように、新しい季節がやってきます。その描写をこの映画はとても大切にしているように思いました。時代の中で生きる命、呉の景色、季節の風景、日常の家事。家族で笑いながら生きていくことがいかに大切なことを教えているのかもしれません。そして、その中には人々の優しさが何度となく描かれていました。その優しさに私たちは傷ついた心を休め、癒されて生きているのかもしれません。その優しさを感じて、涙が出てしまったのかもしれません。評判通りの映画でした。

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by shin-pukupuku | 2017-01-21 18:27 | 映画 | Comments(0)

実習の違い

 これは以前書いたことかもしれませんが、小学校の教育実習と保育所の実習との違いをまたまた痛感しています。保育所は、人手不足ゆえに多忙さを抱えているのでしょう。その忙しさの中で、保育所実習を引き受けてもらうわけですので、養成校としては心より感謝しています。またまだ学生気分の実習生に、実習という貴重な機会を通して育ててもらっている点でも、感謝しています。
 今回の記事は、その保育所実習と小学校実習との違いについて再度感じていることを書きます。
 その大きな違いは、保育所実習は養成校で学んだことを現場を通して再確認し、その力を発揮する場であるというとらえ方のもとでの実習指導が多い感じがしますが、小学校は、大学で学んだことはあまり重視せず、現場で育てようとする意識が高いというところにあるような気がします。
 この違いを生み出しているのは、小学校は組織的に実習生に対して対応する人的余裕があるということが大きいと思います。保育は子どもたちから目を離すことがなかなかむずかしい仕事です。そのために子どもたちに関わっている時間が必然的に長くなるのが保育所でしょう。小学校は、休み時間などについては、子どもたちを自由に遊ばせていて事務的な仕事をする余裕があります。保育所実習は、保育士からすると、短い事務処理の時間にさらに割り込んでくる余計な仕事というのが本音のところでしょう。
 大学としては、保育士育成のための実務的な育成場面が少なく、そのために力量形成がうまくできないまま実習に送り出してしまい、指導案作成や日誌記入などを含めてお叱りの声を聞くことが多くなってしまいます。
 どちらが実習としてのぞましいのか。私は養成校側ですので、できるだけ実習校の現場で育ててほしいというのが願いですが、そんなことだからダメなんだというお叱りの声を聞きそうです。
 ともかく、次の世代の保育を担う若者を育てるという意識のもとで、少なくとも実習を終えて、自分の希望を捨ててしまうような実習だけは避けてもらいたいなあと思います。実習を終えて、教育や保育のすばらしさを感じ、希望を持ってその職業に就くような実習が私はベストだと思います。自分が教育実習を通して教師という職業もいいかなと思った経験から感じる次第です。
 

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by shin-pukupuku | 2017-01-20 08:56 | 教育関係 | Comments(0)

 今、暇な時間に読んで楽しんでいる本が、デヴィッド・エドモンズ、ジョン・エーディナウの『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』(筑摩書房)です。文庫本ですが、これがなかなか面白い。この本の何に惹かれるかというと、ケンブリッジ大学を舞台にした3人の著名な哲学者の哲学の内容ではなく、3人の生き様や人間関係、時代状況などについてまるで小説のように描いていることです。3人の関係はそんな背景があったのかということが、この本でよくわかるのです。哲学の中身はそれほど書いていませんが、やはり読者は人間ドラマに惹かれるんですよね。本のページ数や内容もそれなりに重厚であり、読み進めるのに時間がかかっていますが、時間を見つけてはにたっとしながら読み進めている自分がいます。今日も電車の中で読んでいこう。
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by shin-pukupuku | 2017-01-18 08:58 | | Comments(0)

リアル模擬投票

 今月号の『歴史地理教育』を読んで、目に留まった論文は、石川秀和「保護者・市民との連携による『リアル模擬選挙』」でした。高校の政治・経済の授業実践です。模擬投票については、現代社会から変わる新しい教科「公共」でも、選挙の一つの学習の在り方として重視されるようですが、石川実践の中で「リアル」が大事だと私は思いました。
 学習内容が、教科書の中の世界で閉じてしまう授業は、主権者教育につながらないと思います。つまり、政治や経済、司法などのシステムの学習では不十分。やはり、リアルな現代社会とつなげる学習が、社会科や公民科の教師には求められるのです。ですので、政党などの主張についてもきちんと生徒たちと学ぶことが必要でしょう。それが、本来の市民性を育成する政治教育だと思います。
 中学校の教科書には、選挙制度のしくみとして比例代表を教えるときに、実際の政党ではなく、仮想の政党を出して説明するような資料が掲載されています。それではダメでしょう。やはり、直近の選挙結果を出しながら、比例代表について教えていくべきだと私は思いますね。
 紹介した石川の実践は、保護者や市民との連携を図りながら模擬選挙を行いました。その結果は、18歳選挙権を行使する多数の高校生の姿がありました。それは、「リアル」が基盤になっていると私は考えました。

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by shin-pukupuku | 2017-01-17 09:34 | | Comments(0)