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その日を信じて

帰省を終えて、石巻に戻ってきました。今日からいよいよ新学年度です。

 鹿児島では故郷の味や景色を満喫してきました。多くの仲間と会い、現在の自分は支えてくれた仲間のおかげであることを改めて確認でき、感謝することでした。

 残念だったのは、妻とあまりいっしょに過ごすことができなかったことでした。妻は転勤となり、喜界島へ赴任することになりました。その準備に時間をとられ、さらに送別会などもたくさんあったために、妻は多忙でした。それはわかってはいたのですが、やはり残念でした。

 それにしても今後は妻の勤務地で会うためには、私は乗り継ぎを3便しないと会えません。非常に残念です。これが大島本島北部であれば、奄美空港には東京便もあり、関西空港便もできました。そうすれば、すぐに行けたのですが、喜界島はどうしても鹿児島経由となってしまいます。単身赴任の状態はさらに悪化することになり、会うための時間も少なくなることでしょう。本当に残念です。

 しかし、めげずに頑張っていきたいと思います。きっと良きことが待っていることでしょう。その日を信じていくしかありません。


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by shin-pukupuku | 2017-03-31 09:01 | 雑感 | Comments(0)

教育政策の四つのパラダイム

 昨日、目を通した藤田英典「教育政策の責任と課題」『岩波講座教育変革への展望6学校のポリティックス』の論考を読んで、心に残った部分は次のところでした。
 藤田は「教育政策の四つのパラダイムとその展開」について、ハーグリーブスとシャーリイの論述内容を参考にして、わかりやすく整理しています。
「…政策の関心・焦点は、豊かな学びと子どもたちの幸せにある。保護者や住民・市民には積極的信頼が期待され、教師には、保護者や住民・市民の積極的信頼に応えるためにも専門的資本の蓄積・向上に努めることが重要となる。そして、以上のことが実現していく過程で、三つのアクター間のコミュニケーションが拡大し、種々の技法が伝播・普及し、システム・レベルでの一貫性が確立していくことになる。…」
 上記の教育政策を「第四の道」として、藤田は好意的に紹介しています。
 私はこの第四の道を学んで、私たちが必要としてきたのは、これではないかと深く感じました。それは、現場に身を置いて保護者からのクレームに苦しみ、教員への評価制度や全国学力テストが始まり、息苦しい現場の雰囲気を感じてきたからだと思います。
 アカンタビリティやエビデンスなどの用語が現場でも次第に浸透しつつあります。その内容一つ一つは意義深いところもありますが、その背後にどのような教育政策上のねらいがあるのかを私たちは見抜いていく必要があります。そのことを上記の論考は教えてくれました。

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by shin-pukupuku | 2017-03-29 06:40 | | Comments(0)

仲間

 この数日、仲間のありがたさを感じることでした。
 S中時代から仲の良かったY先生の退職祝いをしました。私を含めて数人で見学に行った最後の授業で、Y先生は「仲間の大切さ」を子どもたちに語りました。それはまさしくY先生が実践してきたことでした。「S中会」を長年主催してきたY先生は、退職した年配の先生方をまとめ、つないできました。Y先生の尽力は、S中時代の仲間だけでなく、さらに多くの仲間を増やし、退職祝いにも多くの仲間が集まっていました。
 最初に私がいきなり挨拶をふられましたが、私はY先生が20年にわたって信念を貫いてきたことを喜びたいと話をしました。Y先生が私の車の中で、組合に入りたいと言った日のことを今でも覚えています。その時以来、一貫してY先生は信念をもって教師生活を過ごしてきました。最後の一年は手術・入院という時期もありましたが、無事に退職の時を迎えることができ、私も喜んでいます。
 次の日は、長年の親友であるYM氏と飲みました。20代の頃からの知り合いですが、彼の研究に対する見識の深さはいつも尊敬のまなざしで見てきました。この日もいつもように蘊蓄のある話を次々と語ってくれました。いっしょに飲んでいると知的刺激をうけて楽しくなるから不思議です。志も私といっしょで、それ故に彼のために尽力したいと思っています。
 二人は私の信頼できる仲間です。勤務先の地域には仲間と呼べる人はなかなかいません。二人とは今後とも末永いおつきあいをしていきたいと思っています。

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by shin-pukupuku | 2017-03-27 11:04 | 雑感 | Comments(1)

フランス歌曲

 昨夜は娘も出演した演奏会が鹿児島市内で行われました。娘の演奏を聞くのは、1年ぶりでしたので、大学院でどれだけ進歩したのか楽しみにしていました。娘の専門はフランス歌曲ですが、かなりむずかしい曲を音楽性を大事にしながら演奏していることがよくわかって、うれしく思いました。伴奏がむずかしいために、依頼した伴奏者はかなりのピアニストだったようです。後で私は知りました。
 声楽を聞きなれない方々には、曲のむずかしさはわからないところがあると思いますが、鹿児島では馴染みのないフランス歌曲を歌うのは、きわめてめずらしいことだったと思います。本人にとっては、レパートリーを増やすための練習舞台という位置づけだったようですが、今後につなげてほしい演奏会となりました。親としては、さらに精進してほしいと願うのみです。

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by shin-pukupuku | 2017-03-24 10:46 | 雑感 | Comments(0)

教授

 来年度より念願の教授になります。この三年間は特任准教授でした。専任教員ではありましたが、正規雇用ではありませんでしたので、給料も8割払いで、なにかと苦労しました。
 これもおつきあいしていただいた多くの支えがあったからだと感謝しております。教授としての自覚や社会的責任の重さを感じながらやっていかなければなりませんが、何よりもうぬぼれることなく、誠実に研究と教育のために生きていきたいと思います。
 みなさん。今後ともよろしくお願いします。

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by shin-pukupuku | 2017-03-23 08:59 | 雑感 | Comments(2)

学習指導要領歴史の記述変更に唖然

 文科省がヒアリングを経て、次の学習指導要領の歴史記述を変更したという記事に驚きました。厩戸王を聖徳太子に戻し、元寇を復活させ、鎖国も使用するという報道を知って、そんな馬鹿なと思いました。
 歴史教育は歴史学の成果を踏まえていくのが当然だと思いますが、それを分離するというのは由々しき事態です。ついにそこまで来たかという印象を持ったのは私だけでしょうか。学校教育に慣れ親しんできたので、語句をこれまで通りにするというのは、歴史学に対する冒涜だと思いました。
 こんなことをしていると、戦前の国定教科書のような状況に近づいていくのは明らか。この問題はとても重大な事態だと思うのですが、みなさんはいかが考えられるでしょうか。

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by shin-pukupuku | 2017-03-22 09:22 | 教育関係 | Comments(0)

完走!フルマラソン

 昨日、人生初のフルマラソンを完走しました。その前の夜は、飲み会で5次会ぐらいまでいき、二日酔いで体調が優れず、これは大丈夫かなと不安でしたが、走ってみると、二日酔いはすぐにとれて、元気が出てきましたが、ただ、やはりきつかったです。
 いきなり最初のスタートの時からトラブルでした。あとスタート15分前というところでもよおしてきて、トイレにかけこむと、10人以上の長い列。それを待っていたら、スタート時間近くでした。なんとか無事にすませて、スタートラインに向かうとすでにスタートは始まっていて、なんとかフルマラソン組の後ろに紛れ込むことができました。
 参加した大会は「東北風土マラソン」です。「風土」を「FOOD」とかけていて、東北のグルメを食べながら走るマラソン大会です。競争指向ではなくて、東北の風土を楽しみながら走りますので、このマラソンであったら、なんとか完走できるかなと思っていました。3~4Km間隔で給水所と食提供の場所があり、そこでは少し休憩してから走るというものです。
 実際に走ってみると、ハーフぐらいの距離まではまだ少し余力があるかなという感じですが、それから先が苦痛との闘いでした。まず、左膝に違和感を覚え、これでは途中リタイヤかなと思ったのですが、走っているうちに痛みが消えてホッとしました。30kmぐらいのところでは、少し調子が出ていたのですが、30kmを超えると大変でした。左の足裏、左足右足の爪などの痛みが強くなり、体力的にもかなりきびしい状況が出てきました。周りを見ると歩いている人もかなり出てきていました。
 しかし、根性だけは昔からあるのかもしれません。歩くことなく走り続けました。当然、スピードはなく、ただ走っているだけという感じです。それでも35kmぐらいから、前にいるランナーを次第に抜いていくという形になりました。
 へとへとになりながら、ゴールへ。時間は4時間25分。目標は4時間30分だったので、自分なりには満足できる記録でした。

 この年にして、今回、フルマラソンという人生初のチャレンジでした。完走できたことで、今年の目標を一つクリアできました。しかし、フルマラソンはこれで終わりにします。やはり、かなりきついです。こんなきついことはもう二度とやりたくありません。ハーフマラソンぐらいであれば、なんとか楽しめそうですが、フルマラソンは楽しむというよりも、自分を痛めつけて満足するという感じです。その夜は、20時前に床につき爆睡しました。朝起きると、足腰の痛みのすごいこと。特に左足の裏に痛みがあり、きのうとはぜんぜん違うところに痛みがありました。おそらく5日間ぐらいは痛みのためにジョギングは無理でしょう。
 それでも、一つの目標をクリアできて、自分なりには大満足でした。

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by shin-pukupuku | 2017-03-20 12:47 | 雑感 | Comments(2)

原発事故裁判

 原発事故によって群馬県内に避難した住民が損害賠償を求めた集団訴訟の判決を知って、ほっと安心しました。裁判長は津波の予見可能性を認め、国と東京電力に賠償命令を出しました。
 判決の中身を見ると、裁判長はさまざまな事実と報告書などを精査して、津波対策として15.7mの津波が来ることを試算していたのにもかかわらず、適切な対応をとらなかったことについて、責任を認めているわけです。そのような予見があったのにもかかわらず、3年間も放置していた東電と国は、裁判長の述べるように事故について責任があるのは明らかでしょう。
 国と東電はこの判決を受けて、被害を受けた住民たちへの素早い損害賠償の支払いが必要だと私は思います。

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by shin-pukupuku | 2017-03-18 09:33 | 雑感 | Comments(0)

組織論

 組織について考えることも多いです。学会や研究会、組合などさまざまな組織があります。それぞれ組織によって目的も違いますし、社会的な状況もあります。また、加入をオープンにしているのか、ある条件を持った人たちを対象にしているのか、その構成員についても多様なものがあるのは言うまでもありません。
 本日の朝日新聞ではPTA組織についての記事がありました。PTAを脱退した親たちの子どもたちに対して、PTAはどのような教育的対応をすべきなのかという内容でした。  ここ最近、PTAの強制的な加入に対して、批判的な記事が掲載され、学校によっては加入届を入学時に手続きとして実施するようになったという記事がありました。
 学校・教師サイドにすると、保護者がPTAに加入しないという選択は、憂慮すべき事態です。学校は保護者のサポート活動に支えられている部分はたしかにあるからです。
私が現場教師最後の年に、PTA総会である保護者が、自分はPTA活動を脱退するという宣言をした保護者がいました。それは、ある意味、衝撃的な発言でした。勇気ある発言だと私は思いました。PTA活動の予算決算において質問し、それに対して適切な返答ができない執行部に対しての宣言でした。
 今、考えますと、PTA活動が強制的に加入させられ、その活動への参加がある意味当然のように保護者に押し付けられるという状況は、組織としては問題があるのだと思います。夫婦共働き世代が増え、昼間に実施されるPTA活動は、ブラック的な企業が多く存在する労働環境にある日本においては、休暇をなかなかとれない親たちにとって、頭痛の種です。それは自分自身もそうでしたし、他の方々からも多く聞きました。
 組織というものは、本来的には自由に出入りできるルールが必要だと私は思います。組織は自分の利益や考え方に合ったときに加入し、逆に自分の利益や考え方に合わなくなったときは、脱退するというのが本来の姿でしょう。出入りの垣根を低くすることが必要だと私は思っています。
 そう考えるとき、PTA活動への加入や脱退はその組織論のベースとして問題性を抱えているということになっていると私は思います。日本社会は同調圧力が強いですので、組織に加入せざるを得ない状況や空気があります。また、脱退を自由に認めない状況や空気もあると思います。
 私たちは組織に縛られるのではなく、あくまでも個人として生活し、必要な時に組織から利益を得、その組織の目的に賛同するときにその組織に関わっていくという姿勢が必要だと私は思っています。

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by shin-pukupuku | 2017-03-17 09:48 | 雑感 | Comments(2)

『対話する社会へ』を読んで

 暉峻淑子『対話する社会へ』(岩波新書)を読みました。
 今、そしてこれからの社会における市民にとって必要なものは『対話』なんだろうなあと納得しながら読み終えました。
「第五章対話する社会へ」で「希望の実例」として示している「行政と住民との対話でつくられた道路」では、街づくりにおける住民と行政との対話によって、行政側と住民側の理解が深まり、より住みやすい街づくりの成功例が出ています。そこには、行政側の理解者とコーディネーター役の人物の力が大きいのですが、何度となく行われた対話の努力によって、民主主義が生かされ、街づくりが成功していったわけです。
 私は、この対話が、市民性にとって非常に重要な要素になるのではないかと思っています。これまでもさまざまな哲学者が、対話の重要性を唱えてきましたが、この対話力というものは、学校教育において学習すべきものではないかと思います。特に社会科の役割は大きいでしょう。
 授業で対話力を育成していくことがより一層求められるのではないかとこの著書を読んで思いました。そして、自分自身もそのような授業づくりを心がけようと思っています。何分に、授業を受ける学生は少人数ですので、対話型の授業は可能だと思っています。チャレンジです。教師の臨機応変の力量は問われますが、授業というのは実はそこのところが面白いところだと思っています。みなさんもいかがでしょうか。

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by shin-pukupuku | 2017-03-16 14:35 | | Comments(0)