映画の舞台は加計呂麻島です。ストーリーは、後の小説家島尾敏雄と島尾ミホの戦時中の恋物語の話ですが、島尾敏雄が書いた『死の棘』でも、特攻隊長として加計呂麻島に赴任してきた島尾が、死を覚悟しながら、加計呂麻島で小学校の先生をしていたミホとの出会いについて、書いていた場面があったと記憶しています。そして、その恋は、まさしく「生」と「死」のはざまにありました。特攻隊長であった島尾は、おそらく自分が死んでいくことを覚悟していたのだと思います。そんな中で、ミホとの恋はあったわけです。
 当時の島尾の立場で考えると、まさしく「生」と「死」を身近に感じていたことでしょう。戦況がきびしくなっていく中で、その死は目の前にせまっていました。ミホとの恋は、あきらめざるべきものだったのだと思います。
 映像を見ながら私が感じたのは、音でした。どの場面でも、加計呂麻島の自然の音が聞こえていました。鳥のさえずり、虫の音、風に揺れる森の音、そして海の波の音。おそらく、この音が「生」を強く印象付けることに成功していました。それは、裏を返せば、「死」をクローズアップさせるのです。
 出演者は、満嶋ひかりと永山絢斗。二人の演技力に重きをおいた作品でした。しかし、映画のテンポとしては、ゆっくりしたものであったために、私にとっては少し疲れるところもありました。
 加計呂麻島は私が最初に赴任した学校のあるところです。加計呂麻島の風景や海の様子などは、すごくなつかしい感じがしました。しかし、映画の舞台となったところはおそらく別のところで撮影されていたと思われます。
 呑之浦の特攻隊基地については、離任する時期になってやっとわかったことでしたが、このことを当時の子どもたちに伝える力量がなかった自分が残念でたまりません。最初の組合教研で報告したレポートは特攻隊の実践でしたが、内容は知覧の特攻隊を想定したものでした。なぜ、身近な地域にあったこの特攻隊を伝えなかったのか、当時の子どもたちに申し訳ないほどです。
 映画としては、次第に登場人物の心境が見る人に迫ってくるという設定になっていたように思います。72年目の夏に、見る映画の一つではあったと思います。原作の梯久美子は、なかなか良き作品を発表していると思いました。今後も注目したいと思っています。

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by shin-pukupuku | 2017-08-31 09:40 | 映画 | Comments(0)

涼しさ

 石巻に戻ってきました。鹿児島での暑さにはまいってしまいました。5月に購入したばかりの冷房が壊れてしまっていて、そのために大変な暑さでした。
 ところが、石巻はすでに秋風を聞くほどの涼しさです。本日などは最高気温は22度という予報。当然、夜は窓を開けて寝るだけで快適に過ごせています。
 この夏を過ごして、やはり、夏は東北だということを実感しました。来年は、夏は帰らないことにします。その代わりに冬に鹿児島には戻ろうかなと今から思っています。
 昨日は、朝からJアラートが鳴ってびっくりしました。屋外の放送も流れて、北朝鮮からのミサイル発射に驚きましたが、なんとなく大仰しい感じがしました。それよりもジョギングをさせてくれよというのが私の本音でした。実際、上空を通過して太平洋側へ向かったというニュースを聞いて、すぐにジョギングコースへ向かいました。すると、思った以上に多くの方が散歩をしていました。みなさん、私と思いはいっしょだったのかもしれないなあと思うことでした。

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by shin-pukupuku | 2017-08-30 10:40 | 雑感 | Comments(0)

台東縣の小学校訪問

 台湾訪問では、台東縣の堂源国民小学も訪問しました。校長は不在で、主任(教頭のこと)が案内してくれました。写真で見るように、白塗りのきれいな学校でした。各教室にはクーラーが設置され、またプロジェクターも設置されていました。
 ある教室には子どもたちが集まって勉強をしていました。先生も二人ついていました。聞くところによると、原住民出身の子どもたちを中心に学習支援をしているということでした。また、成績が不振な子どもを呼んで補習をしているということでした。その風景は、日本の学校とほとんど同じでした。
 台湾では9月から新学年度の始まりとなります。そのために、ある教室には新しい教科書が積み上げられていました。その風景は、これも日本と同じでした。
 台湾では小学校の敷地に幼稚園が併設されています。この学校でも隣に建物があって、それが幼稚園でした。学校の正門前にアイスクリーム屋がありましたが、これは、昼休みなどに子どもたちが食べるためのようです。台湾ではアイスクリームを食べることを特に禁止していないようです。
 
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by shin-pukupuku | 2017-08-25 08:54 | 教育関係 | Comments(1)

施設の充実に驚く

 台東大学は近くに付属の体育高等学校を持っています。見学するために訪問しました。この学校は、現在ジャイアンツで活躍している陽岱鋼の出身校のようです。陽は台湾の原住民ということがすぐわかりますが、この学校にはたくさんの原住民出身の生徒たちが在籍しています。夏休みなのに、部活動に一生懸命に取り組んでいる姿が印象的でした。以前は、夏休みは実家に帰していたようですが、帰すと生徒指導上の問題も多発し、学力も運動能力も落ちて帰ってくるということで、夏休みも練習をするようにしたようです。学校には大きな寮もありました。
 施設の充実は、目を見張るものでした。下の写真は50メートルプールの様子ですが、その他、体育館はもちろん、野球場は二つ、スタンド付きの陸上競技場、アーチェリー用の施設、テニスコートなど、日本の体育大学と変らないほどの充実ぶりでした。台湾は教育にお金をかけていることを実感することでした。
 学校内を見て回るだけで、かなり時間がかかりました。広い敷地のある高校でした。とても日本の高校とは思えないほどでした
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by shin-pukupuku | 2017-08-24 09:31 | 教育関係 | Comments(0)

台東大学の風景

 同僚7人と向かった台東大学。国際交流が一つの大きな目的でした。台東大学の先生方も好意的で、学部長も挨拶に来られ、夏休み中だけ修士の学位をとりに来ている現場の先生方も20人ほど参加して、質問を受けながら日本の教育の現状を紹介することでした。この先生方には、原住民出身の方も何人かいました。それは顔や姿からすぐに分かりました。台東県は台湾でもっとも原住民の住んでいる割合が高いところです。学生である現場の先生方も、最初の歓迎の歌として、原住民の歌をうたってくれました。素敵な歌でした。
 下の写真は、交流会の後に見学した台東大学を象徴する図書館の風景です。すごく大きな図書館で、台湾だけでなく、東アf0048182_07071606.jpgジアでも有数の図書館だそうです。

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by shin-pukupuku | 2017-08-23 07:08 | 雑感 | Comments(0)

高雄市の人口

 台湾訪問初日は、台湾の新幹線高鐵で、台北から高雄を目指しました。2時間ほどで到着しました。驚いたのは、高雄市の大きさです。私の印象としては、鹿児島市と同じぐらいの50~60万ぐらいの人口かなと思っていたのですが、聞いてみると、277万人の大都市でした。台北市が271万ですので、首都よりも人口が多いということになります。
 朝、いつものようにジョギングをして街を走りました。愛河という素敵な川のほとり(カップルが多いのだそうです)を走り、新しくできた2・28祈念公園を走りました。近くには高雄市立歴史博物館がありましたが、そこは日本統治時代のコロニアル風建築の旧高雄市役所の建物だったようです。
 下の写真は、英国領事館文化園区といf0048182_07192130.jpgうところから見た高雄市内の様子です。遠くに高雄85ビルが見えます。

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by shin-pukupuku | 2017-08-22 07:20 | 雑感 | Comments(0)

芝山巌事件

 台湾訪問の最終日は、一人で台北市内を散策しました。台湾訪問前に読んだ本で目に留まったものが、表記の事件です。1895年に日本は台湾を統治し始めます。その年に芝山巌というところに日本語教育を実施する芝山巌学堂を作ったのが伊沢修二でした。彼は、日本語教育を進めるために日本から7人の教師を連れてきたのです。ところが入学してきた現地の生徒は7名。現地の反感があったと考えられます。翌年、現地の人々は日本人教師を襲い、6名が殺害されました。これが芝山巌事件でした。
 MRTに乗って芝山という地で降り、15分ぐらい歩くとこんもりとした小高い山がありました。そこを登っていくと、遊歩道になっていました。木々に囲まれた中にあるところで、直射日光の暑さを避けて、目的の芝山巌事件記念碑を探しました。ところがなかなか見つからず、ウロウロしていましたが、少し奥まったところに記念碑は立っていました。この記念には、現地の人々を「匪賊」と呼んでおり、台湾人に対する差別意識があったことを示しています。揮毫は伊藤博文でした。この殺害事件をきっかけに、この地は日本語教育のメッカとされ、台湾全土に日本語が学校を中心にして教えられていったのです。
 帰り際、急こう配の石づくりの坂と出会いました。神社の跡だなあと思いました。登ったところに手水用の大きなタンクを見つけたからです。階段を台湾のスポーツ系の体力作りに利用している様子を見ました。その風景は日本とほとんど同じでした。日本による台湾統治時
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代の跡がここにはまざまざと残っていました。とても充実した一日となりました。

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by shin-pukupuku | 2017-08-21 10:00 | 雑感 | Comments(0)

やっと…

 先日、久しぶりの判決書教材研究会が行われました。充実した3時間でした。いろんな意見が出され、この会で学ぶ意義を再確認することができました。
 ところが、お楽しみの懇親会に最初から最後まで参加できず、誠に残念でした。ちょうど、20年以上も会っていない中学時代の同級生が4人集まるというのです。しかも遠方から集まる同級生もいて、そちらも顔を出さないといけないという感じになってしまいました。考えたのは、どちらとも掛け持ちで参加するという方法でした。
 おかげで両方の飲み会参加者といっしょに楽しい時間を満喫することができましたが、両方とも迷惑をかけてしまいました。その天罰でしょうか、次の日は二日酔いと体調不良で一日寝ていました。上越から台湾、そして鹿児島へと疲れはピークだったのかもしれません。やっと今日になって体調が戻りつつあります。さまざまな人のおかげて今の自分がいるということを再確認できたこの数日間でした。

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by shin-pukupuku | 2017-08-14 10:50 | 雑感 | Comments(0)

これから…

 今、成田空港です。航空機の出発を待っています。今朝までN学校教育学会報告のために上越にいました。H須賀さんとUm先生といっしょに昨夜は飲みました。のどぐろがこんなにおいしいとは思いもしませんでした。またしても食について勉強することでした。
 さて、今から台湾に向かいます。5泊6日で主に台東と高雄を訪問します。同僚7人と行くわけですが、台東大学の先生方との交流が主な目的です。どのようなものになるのか、とても楽しみです。
 それでは行ってきます。
 

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by shin-pukupuku | 2017-08-06 17:37 | 雑感 | Comments(0)

興味を惹かれた

 アマノジャク氏の紹介もあって、上原善広『差別と教育と私』(文藝春秋)を読みました。上原については、私も以前から注目していたノンフェクションライターです。これまで、何冊かの本を読んできましたが、今回読んだこの本は、路地出身者としての自分自身の学校における解放教育との関わりを中心に、解放同盟と教職員との対立から起こった八鹿高校事件や日の丸君が代で校長が自殺した世羅高校事件、そして同和教育の現在について記したものでした。
 非常に興味深く読むことができました。そして、これまで取り組まれてきた同和教育の意味というものを考えさせられました。私もその影響を受けてきた部分もあったので、自分自身の教師としての歩みをこの本を通して教えてもらったような気がしました。この本に登場する教師は、他人事ではなく、当事者としての意識を持って読めたような気がします。そしてその教育がはたして本当の意味での教育となっていたのか、そのことさえも考えさせられました。
 上原善広の本に少しこだわって読んでみたいと思っています。

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by shin-pukupuku | 2017-08-03 10:29 | | Comments(0)