教育行政の方々

 先日、研究室にある自治体の長と教育長、課長が来られました。研究室の掃除など大変でしたが、緊張しながら迎えることでした。その方々の話を聞きながら、教育の重要性を強く感じており、教育が次の時代をつくるという意識を持っておられるなと感じることでした。どのようなことが教育にとって大事なことなのか、学力テストでは測れないこともあることをよく理解しているようでした。
 自治体の長はまだ若く、よくマスコミなどで目にしている方でしたが、政治家としての力を蓄えるために成長しようとする姿勢に驚くことでした。教育についての見識を深めたい、それがわざわざ私の研究室に来られた理由でした。
 話した内容については記録することはできませんが、私にとっても貴重な時間となりました。ともかく、ほっとしました。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-28 09:50 | 教育関係 | Comments(0)

グローバリズム以後

 エマニュエル・トッドの『グローバリズム以後』(朝日新書)を読みました。ドットはフランスの歴史家で、家族人類学者、人口学者のようです。これまで、ソ連崩壊や米国の金融危機、アラブの春、英国EU離脱などを予言した人のようです。
 トッドは、EUについて、「今は解体の時期です」と断言します。そして、「移民をめぐる危機は、ただ英国だけでなく、様々な様相で欧州解体の最終局面をもたらしつつある」と述べています。
 彼のEUについての今後の動きについての言説を考えると、来月のフランス大統領選挙は、ルペンが勝つのではないかと思われます。まさしく移民問題を口実にして、ルペンはフランスのEUからの離脱を政策として述べているからです。
 マスコミ報道の状況からは、対立候補であるマクロン氏が圧勝しそうですが、トランプ大統領がそうであったように、選挙の結果は最後までわかりません。
 もし、そういう結果になれば、まさしく今世界は内向きに進みつつあるということが言えると思います。ナショナリズムの高まりを感じます。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-27 14:43 | | Comments(0)

海角7号

 タイトルの映画をDVDで見ました。前回に続いて、台湾映画です。この映画は、今から10年ほど前に大ヒットした作品で、タイタニックに次ぐ興行収入であったと解説には書いていました。今回も近くの研究室の先生からお借りしました。
 映画のストーリーは、台北でロックシンガーとしての夢破れた青年が、故郷の恒春に戻ってきます。恒春は台湾本土の最南端にある町です。過疎が進む恒春の街おこしの一環として町長自ら、日本の有名歌手コンサートを開催し若者を呼ぼうとします。その前演奏の地元音楽グループのシンガーとして、その青年が指名されますが、未熟なグループ仲間の演奏に意欲を失い、本気になれません。日本から歌手を呼んだ恒春にやってきた日本人女性は、このコンサートのプロデューサーとして、奔走しますが、青年のやる気のなさに怒りさえ感じるようになります。しかし、二人はやがて惹かれあっていきます。そんな時に、戦後、台湾を去って行った日本人男性の恋文を見つけます。そこには、台湾に残していった「民子」という女性への愛が綴られていました。…
 ストーリーがとてもよく構成されていて、次第に引きずり込まれていきました。基本的にコメディ仕立てなのですが、最後は涙が出てきます。基本的には台湾の人たちの心の思いが流れているのではないかと思いました。
 なかなかおもしろい作品でした。興行収入がすごかったのも分かるような気がしました。ちなみに日本人の有名歌手は「中孝介」でした。この映画を通して「中孝介」は台湾で有名な日本人歌手の仲間入りをしたと思われます。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-25 09:29 | 映画 | Comments(0)

選挙について

 私の住んでいる自治体の市長選挙と市議会議員補欠選挙が昨日行われました。 
 市長選挙については、立候補者が4人立ちましたが、選挙公約もそれなりに示され、またマスコミでも注目されましたので、どの方に投票しようか、ある程度自分なりに判断することができました。
 ところが、もう一つの市議会議員の補欠選挙につきましては、選挙公報ではその公約もある程度示されているようでしたが、あまりにも大まかすぎて、だれに投票すべきなのか判断できませんでした。政党支持の表明でもあればわかるところもありますが、それもありませんでしたので、投票直前までどの人にすべきかわかりません。公約を書いていなかった人はダメだろうと思い、その方は外しましたが、くじで選ぶわけにもいかず、公約もおおまかすぎて似たり寄ったり。迷いに迷いました。結局、投票箱には白票。これも選挙に対する抗議のつもりです。立候補者の公約や市政に対する考え方をもう少し詳細に示してほしいなあと思いました。こんな感じだから、若者の投票率は低くなるのではないかとも思いましたね。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-24 09:20 | 雑感 | Comments(0)

ブラック部活その2

 最新の『季刊教育法』192号では、ブラック部活を特集しています。特集は2回目のようで、座談会を取り入れてブラック部活動の実態をあぶり出そうとしています。「それでも部活はやめられない」という中学校教諭の論考には、現場経験者として首肯する部分が多く、多忙の渦に巻きこまれる実情がよくわかりました。H中学校でサッカー部の顧問であった時の苦悩を私も思い出すことでした。
 それにしても、なぜこのように部活動をめぐって教師のブラック化が問題になってきたのかが私にとっては問題意識としてありました。以前から、中学校の部活動についてはその問題性は問われていましたし、教師の多忙化についても言われ続けてきたことです。
 この特集はそのことについてのヒントを教えてくれました。昔は、教師の勤務をめぐってはかなりおおらかなところがありました。夏休み中は夏休みとして休む時間が十分にありました。勤務時間も長期休業中は9時~4時という慣習も有り、先生方も部活動を午前中にやると、そのまま姿が見えなくなるということもよくありました。それは、今から考えると、授業期間中の超勤を帳消しにする作用があったのだと思います。だから先生方も我慢できたのだと思います。家族との触れあいも長期休業中の時間でごまかしていたのでしょう。
 ところが、2000年代になってからでしょうか、新自由主義の考え方は教師の働き方にも大きな影響を与えました。保護者は児童生徒は教えるー学ぶという関係から解き放たれ、公的サービス提供者とサービスを受容する市民、消費者という関係になってしまいました。そのため、「市民の目」という形で、教師の勤務は囲まれていったようです。
 今では、長期休業中でも勤務時間は平常と同じで、部活動が勤務時間外にやらざるを得ない時も、その分の残業時間代は無視されるという状況があります。勤務時間変更の配慮もありません。やむなく教師たちは職員室でやるべき仕事もないのに、談話して時間をつぶしている状況があります。
 そして、何よりも、高校入試の推薦制度が部活動のブラック化に影響を与えたのではないかと思います。生徒たちは内申書の記述に部活動の記録があることを知っています。保護者は当然ですが、高校側もその内容が合格への一つの要素としてみています。このことで、教師、生徒、保護者がいっしょになって部活動での成果を手にしようとするわけです。
 部活動のブラック化については、今後も関心を持って見ていきたいと思っています。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-23 10:28 | | Comments(0)

今月号は…

 今月号の「歴史地理教育」についてです。特集は、「『道徳の教科化』と社会科の授業」という魅力的なもので、かなりワクワクして読みました。ところが、内容は期待外れでした。二本の論文は、道徳の教科化は戦前の「修身」の復活であり、国家的な道徳がつくられ、民主的な社会をつぶしていくことになるという結論でした。基本的に私も同感ですが、ではどのように現実問題として位置づけられた「特別の教科道徳」を教えていくのかという視点が弱いと思いました。たしかに、その後の実践3本がそれに応えていると思われますが、すべて社会科の実践なんですよね。社会科関係の雑誌だから当然と言えば当然なのですが、しかし、物足りなさを感じました。
 若手の道徳教育の研究者である柳沼良太(岐阜大学)や松下良平(金沢大学)の研究の成果をどのようにとらえ、そして現場実践として実らせるかという視点が、必要だったと思います。
 私は基本的に道徳の教科化には反対です。しかし、学習指導要領で決まった以上、これからはこの道徳でどのように子どもたちを育てていくかという視点が大切であると思っています。戦前の天皇制国家と重なるような方々は、この道徳教育で話題の教育勅語を利用して、授業化しようと考えているはずです。それに対抗した授業実践レベルでの取り組みがこれからは求められていると思います。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-21 09:30 | | Comments(1)

強風で

 昨日は非常勤のために仙台に行く日でした。いつも12時半ぐらいの仙石線で仙台へ向かうのですが、1時間半ほどかかります。13時30分ぐらいから強風のために快速の仙石東北ラインが止まり、帰り大丈夫かなと心配しながら、授業が終わって突風を受けながら歩き、地下鉄で仙台駅へ向かいました。
 ところが、仙台駅は強風のためにほとんどの電車が運休となっていました。改札口には多数の人びとがうろうろしていました。ひょっとして帰れない?と不安に思いながら掲示板を見ると、仙石線だけは走っていました。慌ててホームに向かうと多数の人びとが並んでいました。なんとか電車に乗り込み、満員電車状態で電車は動き出しました。30分近く、そのような状態で重い荷物を抱えながらなんとか乗っていました。塩竈近くから降りる人が多くなり、1時間ぐらいでやっと席に座ることもできました。
 しかし、いつもは1時間30分近くで到着するのに、この日は遅れてしまい、石巻到着は1時間50分後でした。疲れ倍増。やはり石巻と仙台は遠いです。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-20 10:49 | 雑感 | Comments(0)

「非情城市」を見て

 ずっと探して見たいと思っていた台湾映画です。近くの研究室の先生が、DVDを貸してくれました。大喜びで早速鑑賞することでした。
 この作品は1989年に侯孝賢監督によって製作された作品で、主人公はトニーレオンです。その年のヴェネツイア国際映画祭で金獅子賞を受賞した有名な作品です。この映画は台湾で1947年に起こった2・28事件を初めて描いた作品でした。
 この映画を見ると台湾の日本植民地からの解放後の歴史が理解できます。
 主人公は林家ですが、そこには4人の兄弟がいます。その4人の人生が台湾の重い歴史を物語っているように私には思えました。次男は日本の兵士として徴用され南方に送られましたが、戦場から戻ってきません。三男は、中国からやってきた上海ボスとのアヘン密輸で密告され、国民党の警察に逮捕されます。そして拷問によって知的障害となってしまいます。長男は、地域の勢力争いで命を落とします。四男であるトニーレオン役の文清は、耳が聞こえません。写真屋として店を開き生活していましたが、二・二八事件の関係者としてとらえられ、最後は帰らぬ人になってしまいます。
 それら、林家の兄弟の運命は、まさしく台湾の歴史と重なっていたと私は思いました。特に、二・二八事件以後の国民党による弾圧は多くの知識人を逮捕投獄し、命を奪っていったのです。それが明らかになったには、1980年代からだったのです。
 この映画は、台湾の人びとがいかに歴史に翻弄されてきたかを林家を通して描いていると思いました。全般的に暗い映画ですが、見る価値はあると思います。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-19 09:19 | 映画 | Comments(0)

声ー語り継ぐ戦争

 昨日の朝日新聞「声」欄に掲載された「語りつぐ戦争」の体験談は、あまりにも壮絶な話で、投稿者の思いを考えると胸が痛くなりました。
 タイトルは「妹に薬飲ませ…失った記憶」というものです。
 内容は、戦後すぐの1946年春、旧満州から引き上げる時に悲劇は起こったようです。日本人会の男性数人が来て、1歳の妹について、「長い旅に耐えられないから殺しなさい」と毒薬を渡されたのだそうです。母親が抱き、小6の自分がスプーンで飲ませて死なせたというのです。さらに母親は心身共に不調になり、引き揚げ船出発の時に医師から別の粉薬を渡され、それを母親に飲ませると母は泡を吹いて死んでしまったというのです。
 戦争は終わっていたのに、満州からの引き揚げは、戦時中と同じ人権無視の状況があったのでしょう。それを当時小6だった投稿者は加担したその罪を自ら語っているのです。私は現在82歳になる投稿者の思いを考えると、胸が熱くなってしかたありませんでした。思い出さなかった、いや思い出したくなかった体験を自ら語ったその事実は、今後の日本社会への一石の警鐘になったと考えます。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-18 09:02 | 雑感 | Comments(0)

MMマガジン第5号

 5回目となるMMマガジンの連載原稿が掲載されました。今回も小学校でのいじめ問題です。判決書はかつてska37oさんが『実践いじめ授業』で活用した七塚町いじめ事件です。この判決書をもとにして、「個性の強い児童生徒に対するいじめ」についてどう学校教師は対応すべきかを考えました。

判決書事例で学ぶ安全教育 第5回 
 ~いじめに対しての教師対応の学びのために(3)~  
                          
1.はじめに
 
 いじめ問題に関係する判決書事例については、今回が3回目となります。
 第1回は、外国籍の母親を持つ女子児童が、「暴言」や「仲間はずれ」によるいじめによって自殺した事件をとりあげました。
 第2回は、「悪口」についてのいじめに焦点化した判決書事例から、教師対応を取り上げました。
 今回は、授業中に立ち歩きをする転入生に対して行われたいじめ事例をもとにして、教師のいじめ対応を考えていきましょう。
 みなさんの学級では、特定の児童が授業中に立ち歩くことはないでしょうか。私は中学校の教師でしたが、中学生になっても落ち着くことができず、授業中に立ち歩きをする何人かの生徒を見てきました。小学校の先生方と話をすると、同様に授業中に立ち歩く児童に悩まされているということを耳にします。
 みなさんは、そのような児童に対してどのような対応をしていますか。
 文部科学省は、平成22年『生徒指導提要』で、「発達に関する課題と対応」という項目を取り上げ、「個々の児童生徒が抱える障がい特性の把握」と「個々の児童生徒の特性に応じた指導の基本的な姿勢」、「二次的障害の早期発見と予防的対応」を述べています。いわゆる発達障がいのある児童生徒の特性を把握し、個別的に丁寧な指導が必要であることを強調しています。
 同時に、「個別的な指導を行うためには、それを可能とする学級づくが大切」であり、仲間意識、ルールの遵守、お互いを認め合うこと、思いやり、意欲と責任感、自己解決能力、成就感・達成感のある学級経営が必要であることを述べています。
 つまり、個性の強い児童の行動や言動に対して、周囲の児童たちがその個性を受け止め、理解し、共感的に対応していけるような学級経営や生徒指導力が教師として問われているのです。
 学級内において児童たちは多様な個性をもつ級友と生活します。その中には、情緒障がいのように外見上はその特徴が見えにくい児童も生活しています。その特異な行動や行為ゆえに、周囲の児童たちが差別的な言動や行動をとってしまう場合も多いわけです。そのため、いじめのターゲットにされる被害者の事例が多く見られます。
 今回の判決書事例では、転入生のAに対するいじめを取り上げます。Aは、授業中に立ち歩いたり、突然授業中の担任教諭のところへ歩み出て授業科目とは全く別の教科のことを質問するなどの勝手な行動が見られました。
 個性の強い児童に対するいじめに対して、教師はどのようなことに気を付けながら学級経営や生徒指導を行っていったらよいのでしょうか。
 今回は、いじめについての学校安全、特に個性の強い児童に対するいじめに焦点化します。判決書事例は少し古いですが、金沢地方裁判所平成8年10月25日判決を取り上げます。

2.事件の概要
4年生の3学期に転入してきたAは、転入直後から「ばか」「クッパ」とか「ちゃんと席につかんとだめやがいや」「起立せい」「やーい、決まりは守れ」などと言われたと母親に訴えます。いじめの対象となることを心配した母親は、担任に相談しますが、むしろ担任は「子供達には悪気はなく、親切心で言ったことだと思う。」との趣旨の意見を述べます。その後、上級生からの暴力があり、母親は学校を信頼できず、学校を休ませることにしました。
 5年生に進級してクラス替えとなり、担任も変わったことでAは登校を再開します。
 しかし、始業式当日にAが同級生らから、からかわれるということがあり、四月中には、Aが、同級生から掃除の時間などに小さな声で囃し立てられたり「変な一郎」などとからかわれたりする出来事が三回ほど発生します。一学期中には、筆箱が壊されたことがあるほか、学期の終りころにも、叩かれたり、悪口を言われたりすることが二回程発生しました。二学期に入ると、九月には、同級生らから足を蹴られたり、「髪の毛を切ってこい」「女」などといわれる出来事が発生し、さらに何者かによってAの筆箱が床の上で踏みつけられるという出来事が発生しました。
 そして、問題の事件が発生します。担任は研修旅行に出かけたため、クラスは一時限目から教師不在のまま児童だけによる自習授業が行われていました。四時限目に、Aの机に糊が塗り付けられるといういたずらが起こり、休憩時間に入るころ、教室の出入口の戸を押さえてAを外に出られないようにするいじめが起こります。さらに、三、四人の生徒がロッカーの戸を押さえてAを狭いロッカー内に閉じこめて、外側からロッカーを蹴ったり叩いたり脅かします。さらに会議室の前まで連れて行き、二、三名の児童がAを下足脱ぎ場に連れ込んで取り囲み、足を蹴ったり、胸を引っ張ったりしたほか、ズボンの上から性器を触るなどの暴行を加えました。
 加害者側児童の保護者とAの両親は、謝罪をめぐって対立し、Aの両親らは児童らに反省している様子が見られず、学校側もそれに対して格別の措置をとっていないとして、不信を募らせ、こうした状態のままではAは登校できないとの姿勢をとり続けて、不登校を続け、学校教師および加害者保護者に対して損害賠償を請求した内容の事件です。

3.判決の内容
 同級生らのいじめにより負傷し、登校拒否となったAにつき、校長、担任教師に、クラスの指導監督を怠っていた過失があるとされ、学校及び加害生徒の親に対して求めた損害賠償請求が認められました。

4.学校・教師の対応
 集会中にふらふら歩きまわったり、授業中に席を立って自分の言いたいことを言うことがたびたびあり、いじめの対象者となりがちであった転入生のAに対して、5年生の担任B教諭、およびC校長はどのような対応をとったのでしょうか。
 判決書から実際に行った学校教師の対応を見ていきたいと思います。
(1)「学校側では、担任のB教諭ばかりでなく、C校長や隣の組の担任のD教諭らが、Aに対するいじめと思われる行為が明らかになる都度、行為を行った児童に対して個別に注意を与え、一学期中は、Aに対するいじめ行為は徐々に減るようになった。」
(2)「Aは、五年生に進級後も、集会中にふらふら歩きまわったり、授業中に席を立って自分の言いたいことを言うことがたびたびあったが、担任のB教諭は、クラスの児童全員に対して、再三、Aがクラスのルールを守らないことがあっても、それを理由に叩いたりしてはいけないと注意を与えていた。」
(3)「(暴行事件のあった)自習時間中には、隣の担任であったD教諭が、ときおり様子を見に訪れていたが、D教諭が、四時限目の授業時間が終了して給食の準備に入ったころに教室を訪れたときに、Aが自分の机に糊が塗り付けられるといういたずらを発見して訴えたので、すぐに周囲の児童らに対して、だれがやったのかと問いただしたが、名乗り出る者はなかった。そこで、D教諭は、糊を拭き取って、原告が給食をとれるような状態にしたうえで、自分の担任する教室に戻った。」
(4)「暴行事件の翌日、Aの両親は、校長室にC校長を訪ね、事件に関与した児童から直接話を聞きたいと強く要望したため、校長は、関係した九名の児童を呼び、Aの両親がこれらの児童に対して直接に事実関係の確認をすることを容認した。
 そこで、Aの父親は各児童を一人づつ順に問い詰めていったが、強い口調で非難したり、性器を触った児童に対しては、その事実を質問した後、Aに向かって「やってこい。」「やられたらどんな気持ちになるか味わってみい。」とその場で報復的な行為を唆すなどの言動もみられた。そのため、児童の中にはその場で泣き出す者もあり、後に、その時の様子を児童から伝え聞いた保護者の中には、自分の子供の方こそが被害者であるという感情を抱くものが少なくなかった。」

 上記の(1)~(4)の中で、学校教師の対応のどこに問題があったのでしょうか。
 みなさんが真っ先にあげるのは、おそらく(4)ではないかと思います。
 C校長の判断は明らかに間違いでした。あくまでも学校内で起こった事件については、学校教師が責任を持って調査すべきでした。事実関係の調査については、関係者に個別に事実を書かせ、その事実をつきあわせて、矛盾がある場合はさらに事実を追及していく対応を生徒指導として行うべきでしょう。それは、教育における専門家としての学校教師の取り組むべきものでした。校長としては、Aの両親の強い要望に押されてしまったのかもしれませんが、その判断ミスが最終的に損害賠償請求となる裁判を引き起こしたと思われます。
 次に問題となるのは、(3)ではないかと考えられます。Aに対するいじめがそれまで何度となく起こり、今後も起こる可能性はあったわけです。たしかに上記(1)や(2)の対応によって、その可能性は小さくなってきてはいましたが、そこでも判断ミスでした。B担任は、隣のクラスのD担任に自習中の指導をお願いすれば、なんとかなるだろうと考えていたのでしょう。私たちも自習中の指導について安易にそのように考えがちです。
 ところが、判決書では次のように指摘します。
「担任のB教諭及びC校長らは、当時、Aに対する同級生らからのいやがらせや暴行行為が再び発生する危険があることは十分に予見できた。担任の教諭が終日教室を不在にするような場合には、児童らに対する教師の指導監督がおろそかになり、児童の気も緩んで再びAに対するいやがらせや暴行行為に及ぶことが一層強く懸念されるのであるから、そのようなことがないように、例えば、学習時間の一部だけでも他の教師による代替授業を行ったり、自習を行わせるときには、教師が高い頻度で教室の様子を見に出向くなど、できる限り教師による指導監督力の低下を防ぐための措置を講ずべきであったというべきである。」
 これまでのいじめ判決書事例による学びで、何度も「組織的対応の必要性」を述べてきました。特に小学校では、児童の指導に関して学級担任に関わる比重が高いために「組織的対応」が不十分な事例が多く見られます。今回の事例でも、組織的対応の不足が事件を引き起こす要因になっています。
 判決書の記述には、生徒指導主事の役割が出てきませんし、教頭の姿も見えません。いじめの発生が予想される時は、隣の担任だけに自習を預けるのではなく、学校全体で自習時間にだれがどのように様子を見るのかについての確認が必要であったと言えます。
 さらに、上記の中で私は(2)の対応についても不十分だと考えます。そのために、Aに対するいじめが続いてしまっていたのです。
 近年、学級において、特に発達障がいの児童生徒が注目されるようになり、「集会中にふらふら歩きまわったり、授業中に席を立って自分の言いたいことを言う」児童生徒は、その可能性があると言われます。しかし、簡単にレッテルを貼ってしまうのもどうかと私は思います。当然、特別な支援によってそのような児童生徒に対応していくことが必要なのは、言うまでもありません。一方、周囲の同級生に、そのような児童生徒の特性をどう理解させていくかということが最も大事ではないかと思います。
 上記の(2)ではそれなりの対応をしているように見えますが、まだまだ不足していると思います。(2)では説諭だけです。それでは教師の自己満足であり、道徳などの授業において、教材をもとに教えていく必要があったと思います。

5.何を学ぶべきなのか。
 本判決書でも、まず第一に、「組織的対応」の重要性を学ぶことができます。児童生徒のいじめ対応においては、担任だけではなく、学校全体で見守っていくことが必要です。教師の横の連携と縦の連携が求められると思います。いじめ問題については、できるだけ多くの教職員が関わり、連携を図りながら、見守っていく必要があります。
 第二に、いじめ問題が起こる可能性が予見される場合は、通常以上に児童生徒を見守る必要性があるということです。自習にする時は、児童生徒にまかせるのではなく、監督体制をきちんととる必要があることが、本判決書でわかります。
 第三に、障がい理解教育の必要性です。単に説諭による指導だけではなく、教材を通した学習が求められます。教材を通して間接的に学級には個性のある同級生が存在することを自覚させ、どのような対応をとることが学校生活を平穏に過ごしていくことにつながり、お互いの人格権を尊重していくことになるのか、その学びが個性の強い児童生徒たちへのいじめ防止・抑止につながります。
 私は、判決書事例を教材にして、いじめについて授業実践を行ってきました。紹介しましたように、判決書事例を活用した授業は、立ち歩く子どもたちのことを自覚させ、いじめ抑止・防止に効果があると考えられます。
 次回からは、学校事故についての判決書事例を紹介し、学校教師の対応を考えていきたいと思います。
 

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# by shin-pukupuku | 2017-04-17 08:58 | 教育関係 | Comments(1)