「天使にショパンの歌声を」

 1960年代、カナダのケベック州を舞台にした映画でした。ケベック州はご存知のように、フランス語圏です。そのために、フランス語の映画作品となっています。カトリックの修道女が教師として教える寄宿学校の話です。この学校は、音楽学校として少女たちの教育に力を入れていて、成功していましたが、社会背景として政教分離の政策が始まった時代に、学校存続に力を尽くした修道女たちの話でした。
 最終的には、修道女や少女たちの努力にもかかわらず、学校は閉鎖されてしまう結末ですが、最後のクライマックスでは、観客の涙があちこちから聞こえました。私も涙腺がゆるんでしまいました。なぜだろうと思うのですが、やはり、教師たちの音楽学校としての教育に誇りを持ち、教師集団の同僚性、寄宿舎の少女たちへの熱い思いに感動したのだと思います。そして、生活面において問題を抱えた少女が、最後のコンクールで金賞をとり、みんなで喜び合う姿に心を打たれたのでしょう。
 教育のすばらしさに触れたと思いました。そして、修道女の教師たちが、誇りと信念を持って権力者に対して抵抗する姿に心惹かれたのだと思います。素敵な作品でした。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-02 09:53 | 映画 | Comments(0)

閣議決定に言葉を失う

 本日、朝刊の記事「教材に教育勅語否定せず」を読んで言葉を失いました。よく読むと、教育勅語について「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定したというわけです。安倍首相の本性が牙を向き始めたと思いました。いかにも、教育勅語そのものを国民教化として思想的に利用するのではなく、オブラートな表現で包み込んでいますが、本質は天皇制国家体制の復活でしょう。なぜなら、教育勅語の本質は皇室国家のために尽くすことが目的なわけですから。
 しかし、テレビ報道ではこの問題についてそれほど取り上げられていないようです。私も新聞を読んで驚いたぐらいですので、日本のマスコミも権力に対して立ち向かう気力を失っているのでしょうか。
 教育勅語で思い出すのは、大学生の時に実家の集落の有力者であった方が、私が教育学を学んでいることを知って、その教育勅語を持ってきたことです。その有力者は、戦後廃止され、破棄される予定であった教育勅語を自宅に隠し、宝物のように持っていたということでした。その時、すでに戦後30年は経過していたと思いますが、すごくきれいだったことを思い出します。その方が勤めていた国民学校の教育勅語だったようです。なぜ、その教育勅語をわざわざ私に見せるために来たのか、今では思い出しませんが、亡父が教育勅語を暗唱させられたこと、間違えるとたたかれたことを語っていた記憶があります。
 大学の授業では、恩師大槻健が教育勅語に関わるエピソードを話してくれたことを今でも鮮明に思い出します。学校長が教育勅語を高々と持ち、その文言を読んでいる時、子どもたちは下を向かないといけなかったこと。ところが、冬場寒くなると、下を向いているために鼻水が止まらず、鼻水をズーズーとすする音があちこちから聞こえてきたこと(当時の子どもたちは鼻の悪い子が多く、青鼻や貴鼻をすする子どもたちが多かった)などを語ってくれました。それは、皇国民化教育が推し進められる一方で、子どもたちの抵抗のような意味があるような気がして、民衆のたくましさを感じさせる笑い話のようなエピソードでした。
 教育勅語を批判的に教材化するという方法はたしかにありますが、森友学園のように子どもたちに暗唱させる扱い方も起こりうるわけです。そのような教育勅語を「閣議決定」する内閣の無神経さに憤りを感じています。ドイツを例に考えると、ヒトラーのわが闘争を学校現場で教えてもよいというお墨付きを政治家が行ったということになるのではないでしょうか。日本の政治家の異常さを感じてしまいます。

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# by shin-pukupuku | 2017-04-01 09:39 | 教育関係 | Comments(0)

その日を信じて

帰省を終えて、石巻に戻ってきました。今日からいよいよ新学年度です。

 鹿児島では故郷の味や景色を満喫してきました。多くの仲間と会い、現在の自分は支えてくれた仲間のおかげであることを改めて確認でき、感謝することでした。

 残念だったのは、妻とあまりいっしょに過ごすことができなかったことでした。妻は転勤となり、喜界島へ赴任することになりました。その準備に時間をとられ、さらに送別会などもたくさんあったために、妻は多忙でした。それはわかってはいたのですが、やはり残念でした。

 それにしても今後は妻の勤務地で会うためには、私は乗り継ぎを3便しないと会えません。非常に残念です。これが大島本島北部であれば、奄美空港には東京便もあり、関西空港便もできました。そうすれば、すぐに行けたのですが、喜界島はどうしても鹿児島経由となってしまいます。単身赴任の状態はさらに悪化することになり、会うための時間も少なくなることでしょう。本当に残念です。

 しかし、めげずに頑張っていきたいと思います。きっと良きことが待っていることでしょう。その日を信じていくしかありません。


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# by shin-pukupuku | 2017-03-31 09:01 | 雑感 | Comments(0)

教育政策の四つのパラダイム

 昨日、目を通した藤田英典「教育政策の責任と課題」『岩波講座教育変革への展望6学校のポリティックス』の論考を読んで、心に残った部分は次のところでした。
 藤田は「教育政策の四つのパラダイムとその展開」について、ハーグリーブスとシャーリイの論述内容を参考にして、わかりやすく整理しています。
「…政策の関心・焦点は、豊かな学びと子どもたちの幸せにある。保護者や住民・市民には積極的信頼が期待され、教師には、保護者や住民・市民の積極的信頼に応えるためにも専門的資本の蓄積・向上に努めることが重要となる。そして、以上のことが実現していく過程で、三つのアクター間のコミュニケーションが拡大し、種々の技法が伝播・普及し、システム・レベルでの一貫性が確立していくことになる。…」
 上記の教育政策を「第四の道」として、藤田は好意的に紹介しています。
 私はこの第四の道を学んで、私たちが必要としてきたのは、これではないかと深く感じました。それは、現場に身を置いて保護者からのクレームに苦しみ、教員への評価制度や全国学力テストが始まり、息苦しい現場の雰囲気を感じてきたからだと思います。
 アカンタビリティやエビデンスなどの用語が現場でも次第に浸透しつつあります。その内容一つ一つは意義深いところもありますが、その背後にどのような教育政策上のねらいがあるのかを私たちは見抜いていく必要があります。そのことを上記の論考は教えてくれました。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-29 06:40 | | Comments(0)

仲間

 この数日、仲間のありがたさを感じることでした。
 S中時代から仲の良かったY先生の退職祝いをしました。私を含めて数人で見学に行った最後の授業で、Y先生は「仲間の大切さ」を子どもたちに語りました。それはまさしくY先生が実践してきたことでした。「S中会」を長年主催してきたY先生は、退職した年配の先生方をまとめ、つないできました。Y先生の尽力は、S中時代の仲間だけでなく、さらに多くの仲間を増やし、退職祝いにも多くの仲間が集まっていました。
 最初に私がいきなり挨拶をふられましたが、私はY先生が20年にわたって信念を貫いてきたことを喜びたいと話をしました。Y先生が私の車の中で、組合に入りたいと言った日のことを今でも覚えています。その時以来、一貫してY先生は信念をもって教師生活を過ごしてきました。最後の一年は手術・入院という時期もありましたが、無事に退職の時を迎えることができ、私も喜んでいます。
 次の日は、長年の親友であるYM氏と飲みました。20代の頃からの知り合いですが、彼の研究に対する見識の深さはいつも尊敬のまなざしで見てきました。この日もいつもように蘊蓄のある話を次々と語ってくれました。いっしょに飲んでいると知的刺激をうけて楽しくなるから不思議です。志も私といっしょで、それ故に彼のために尽力したいと思っています。
 二人は私の信頼できる仲間です。勤務先の地域には仲間と呼べる人はなかなかいません。二人とは今後とも末永いおつきあいをしていきたいと思っています。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-27 11:04 | 雑感 | Comments(1)

フランス歌曲

 昨夜は娘も出演した演奏会が鹿児島市内で行われました。娘の演奏を聞くのは、1年ぶりでしたので、大学院でどれだけ進歩したのか楽しみにしていました。娘の専門はフランス歌曲ですが、かなりむずかしい曲を音楽性を大事にしながら演奏していることがよくわかって、うれしく思いました。伴奏がむずかしいために、依頼した伴奏者はかなりのピアニストだったようです。後で私は知りました。
 声楽を聞きなれない方々には、曲のむずかしさはわからないところがあると思いますが、鹿児島では馴染みのないフランス歌曲を歌うのは、きわめてめずらしいことだったと思います。本人にとっては、レパートリーを増やすための練習舞台という位置づけだったようですが、今後につなげてほしい演奏会となりました。親としては、さらに精進してほしいと願うのみです。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-24 10:46 | 雑感 | Comments(0)

教授

 来年度より念願の教授になります。この三年間は特任准教授でした。専任教員ではありましたが、正規雇用ではありませんでしたので、給料も8割払いで、なにかと苦労しました。
 これもおつきあいしていただいた多くの支えがあったからだと感謝しております。教授としての自覚や社会的責任の重さを感じながらやっていかなければなりませんが、何よりもうぬぼれることなく、誠実に研究と教育のために生きていきたいと思います。
 みなさん。今後ともよろしくお願いします。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-23 08:59 | 雑感 | Comments(2)

学習指導要領歴史の記述変更に唖然

 文科省がヒアリングを経て、次の学習指導要領の歴史記述を変更したという記事に驚きました。厩戸王を聖徳太子に戻し、元寇を復活させ、鎖国も使用するという報道を知って、そんな馬鹿なと思いました。
 歴史教育は歴史学の成果を踏まえていくのが当然だと思いますが、それを分離するというのは由々しき事態です。ついにそこまで来たかという印象を持ったのは私だけでしょうか。学校教育に慣れ親しんできたので、語句をこれまで通りにするというのは、歴史学に対する冒涜だと思いました。
 こんなことをしていると、戦前の国定教科書のような状況に近づいていくのは明らか。この問題はとても重大な事態だと思うのですが、みなさんはいかが考えられるでしょうか。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-22 09:22 | 教育関係 | Comments(0)

完走!フルマラソン

 昨日、人生初のフルマラソンを完走しました。その前の夜は、飲み会で5次会ぐらいまでいき、二日酔いで体調が優れず、これは大丈夫かなと不安でしたが、走ってみると、二日酔いはすぐにとれて、元気が出てきましたが、ただ、やはりきつかったです。
 いきなり最初のスタートの時からトラブルでした。あとスタート15分前というところでもよおしてきて、トイレにかけこむと、10人以上の長い列。それを待っていたら、スタート時間近くでした。なんとか無事にすませて、スタートラインに向かうとすでにスタートは始まっていて、なんとかフルマラソン組の後ろに紛れ込むことができました。
 参加した大会は「東北風土マラソン」です。「風土」を「FOOD」とかけていて、東北のグルメを食べながら走るマラソン大会です。競争指向ではなくて、東北の風土を楽しみながら走りますので、このマラソンであったら、なんとか完走できるかなと思っていました。3~4Km間隔で給水所と食提供の場所があり、そこでは少し休憩してから走るというものです。
 実際に走ってみると、ハーフぐらいの距離まではまだ少し余力があるかなという感じですが、それから先が苦痛との闘いでした。まず、左膝に違和感を覚え、これでは途中リタイヤかなと思ったのですが、走っているうちに痛みが消えてホッとしました。30kmぐらいのところでは、少し調子が出ていたのですが、30kmを超えると大変でした。左の足裏、左足右足の爪などの痛みが強くなり、体力的にもかなりきびしい状況が出てきました。周りを見ると歩いている人もかなり出てきていました。
 しかし、根性だけは昔からあるのかもしれません。歩くことなく走り続けました。当然、スピードはなく、ただ走っているだけという感じです。それでも35kmぐらいから、前にいるランナーを次第に抜いていくという形になりました。
 へとへとになりながら、ゴールへ。時間は4時間25分。目標は4時間30分だったので、自分なりには満足できる記録でした。

 この年にして、今回、フルマラソンという人生初のチャレンジでした。完走できたことで、今年の目標を一つクリアできました。しかし、フルマラソンはこれで終わりにします。やはり、かなりきついです。こんなきついことはもう二度とやりたくありません。ハーフマラソンぐらいであれば、なんとか楽しめそうですが、フルマラソンは楽しむというよりも、自分を痛めつけて満足するという感じです。その夜は、20時前に床につき爆睡しました。朝起きると、足腰の痛みのすごいこと。特に左足の裏に痛みがあり、きのうとはぜんぜん違うところに痛みがありました。おそらく5日間ぐらいは痛みのためにジョギングは無理でしょう。
 それでも、一つの目標をクリアできて、自分なりには大満足でした。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-20 12:47 | 雑感 | Comments(2)

原発事故裁判

 原発事故によって群馬県内に避難した住民が損害賠償を求めた集団訴訟の判決を知って、ほっと安心しました。裁判長は津波の予見可能性を認め、国と東京電力に賠償命令を出しました。
 判決の中身を見ると、裁判長はさまざまな事実と報告書などを精査して、津波対策として15.7mの津波が来ることを試算していたのにもかかわらず、適切な対応をとらなかったことについて、責任を認めているわけです。そのような予見があったのにもかかわらず、3年間も放置していた東電と国は、裁判長の述べるように事故について責任があるのは明らかでしょう。
 国と東電はこの判決を受けて、被害を受けた住民たちへの素早い損害賠償の支払いが必要だと私は思います。

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# by shin-pukupuku | 2017-03-18 09:33 | 雑感 | Comments(0)