佐賀のT中さんの授業

 授業見学の前夜に鹿島市内でT中さんと飲みました。T中さんとは20代のころからの知り合いです。九民研で同じ分科会に参加して、彼の社会科関係の授業プリントと細案に学ぶと同時にその蓄積に驚きながら親しくしていただいてきました。そのT中さんが、地歴社から『討論する歴史の授業』をシリーズで出版すると聞いて、驚くと同時にとてもうれしく思いました。若いころからの地道な蓄積が花開いたと思ったからです。その本で一躍全国版になったT中さんの授業をぜひ参観したいと思ったのです。教員養成にぜひ活用したいと思いました。
 学校に行ってまずその建物のモダンさに驚きました。教室の廊下側は全面ガラス張りという様子に驚き、廊下や校長室も今まで見たこともないようなきれいな作りでした。一見、機能的に設計しているように思われました。ところが当事者に話を聞くと、困っていることがいろいろとあるということでした。
 T中さんの授業は2時間続けて見ました。2年生の歴史的分野の授業です。最初が「社会主義国の誕生」でロシア革命とシベリア出兵、次の時間は「戦争は天のたすけか」というテーマのもとで第一次世界大戦と日本、二十一か条の要求を学ぶというものでした。
 第一印象は学習内容のち密な授業計画以上に学業指導がかなり徹底されているなということでした。T中さんは「自分は口下手で…」と謙遜されますが、授業では早口ではないかと思うほど、なめらかに授業を進めていました。その間に宿題忘れの生徒に対する指導、グループでの話し合い、板書、発表のさせ方など、実にち密に精錬されていたことに驚きました。生徒たちは二クラスとも全員が授業に集中していて、手遊びや私語、別のことを考えている生徒とか見当たりませんでした。T中先生の授業に引き込まれているということなのでしょう。
 T中さんは、「物語風」という言葉を使って、自分自身の授業の組み立ての特色について語ってくれましたが、たしかに歴史的事実と事実のつながりをストーリー性を持たせて授業を進めているのがよくわかりました。そしてところどころに簡単な討論をはさみ、それがとても効果的で生徒たちも楽しんでいるような感じでした。私は授業後の感想で「討論でシャッフルされる」と述べましたが、まさしく生徒たちの認識が討論の場面で自分の頭を使うことで考える授業に昇華していると思いました。
 あっという間の2時間で、T中さんの授業への熱い思いと、それに素直に応えている生徒たちの姿が印象的でした。授業参観して本当に良かったと思いました。目的の教員養成での活用も効果的になりそうです。DVDで見た時はなぜそんなことをするのかわからなかった場面も、今回の参観でよく分かりました。これで自信を持ってT中さんの授業を紹介できそうです。
 終わった後も車で私が行きたかった祐徳稲荷神社までいっしょにつきあっていただきました。祐徳稲荷神社はタイの観光客がたくさん訪問する神社で、実際参道を歩くと日本人より外国人の方が多い印象を持つほどでした。いろんな話をしながら、T中さんと時間を共有できたことがうれしかったです。多忙な中にも私のために時間をつくっていただいたことに感謝しながら、博多へ向かうことでした。

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Commented by 佐賀のT中です at 2018-03-14 22:31 x
授業参観ありがとうございました。
授業後の話し合いを録音させていただきましたが、それは、私の頭の回転が遅いため、その場では上手く理解できなかったり、あるいはきちんと答えたりすることができにくいことが予想されたからでした。実際に録音を聞き直してみると、やはり質問に対してきちんと答えていないことに気づきました。そこで、いくつか後日考えたことをお伝えします。

「ペアは作らないのか?」との質問について
授業のはじめから班を組ませている形態からは、ペアは作りにくいときがあるために作らないとの理由がありました。班は基本的には6人編成としていますが、生徒数の減少や不登校の生徒が増えてきている現状では、6人いない班があったりします。そうするとぺアが作りにくくなる場合が出てきます( 実際、各学級で2つの班は5~3人編成となっています )。
また、「班をつくっているのでペアを必要としない」ことも理由としてあります。全生研の学級集団づくりの経験から、班をつくっているのであれば、班の活動を優先すべきであると考えています。そうしないと、班の存在の意味がなくなるからです。班をつくっているのに班を使わない( 活動させない )と、「班はなくても同じ」という意識が出てきます。そうすると班の存在は無視されるようになる傾向があります。そのため、「必要だから存在している」との意識が大事になります。
授業のはじめから最後まで班を組ませている理由も同じことなのです。班を組ませているのであれば、常に班を意識させる( 意識する )指導が必要になります。そうしないと班の存在の意味はありません。つまり、必要だから班をつくらせているわけです。
活動させるために班をつくらせているわけではありません。学習に必要だから、授業容を学ばせるために、授業方法として学習班をつくっているわけです。私がよく表現している、「授業内容と授業内容は車の両輪みたいなもの」ということは、そういうことなのです。
Commented by 佐賀のT中です at 2018-03-14 22:31 x
「どちらの立場( 国家の立場、民衆の立場 )で考えさせるのか?」の質問について
次の日に授業をしていて、あの日、答えたことに不足していることがあったことに気がつきました。それは、「民衆の立場でのみの意見になると、討論にはならない」ということでした。
討論をおこない、考える力を育てるためには、国家の立場に立つことも必要になります。たとえば、教科書も政治の動きが主になって書かれています。それは、為政者の立場で歴史が書かれているということです。その立場のみで歴史をみていくことには問題があると思いますが、歴史の事実を知る意味では、そうした歴史の描き方もあると思います。しかし、それだけを学ぶのでは、主権者として育つことはありません。そこで、授業では、あえて為政者の立場に立っての反論( =教育的挑発 )をすることが多くあります( 翌日の授業で、そうした反論を出しながら、「あぁ、こうして為政者の立場での反論をしていることにどんな意味があるのかを、昨日、説明し損ねていたなぁ」と思いました )。
何故そんな反論をするのかというと、子どもたちには、私からのその反論に反論ができるようになって欲しいと考えているからです。つまり、もし為政者の言動をおかしいと考えることがあれば、その為政者の考えを論破できなければなりません( 前提として為政者の考えや政治を、「どうとらえるのか、どう考えるのか」ということができる必要がありますが・・・ )。
もっとも、論破できないからと言って、それが悪いわけではありません。なぜなら、論破できないということは、当時の為政者の考えにのっているだけのことだからです。それは、その当時の民衆( 国民 )の反応と同じということになるからです。しかし、子どもたちは現在の時点から歴史を学んでいるわけですから、当時の人と同じではなく、やはり正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると判断できる力、そしてそのことを主張できる力を身に着けてもらいたいと考えています( そうしたことを見抜く力が必要であることは、今の政治の動きを見ていると切に感じます )。そうすると、国家の立場からの意見も必要になってくるわけです。その意見があってこそ討論が成立することにもなるわけです。
Commented by 佐賀のT中です at 2018-03-14 22:32 x
学生の指導について
かつて教育実習生に、私の授業案を渡して、その授業案を使って授業をさせたことがあります。そのとき、その実習生は、「でも、これは田中先生が作られた指導案ですよね」と授業案を使うことを躊躇していました。そこで私は、『確かに、この授業案は私が作ったものだけど、授業案ができたから授業ができるってもんじゃないよ』と答えました。『優れた脚本であっても、それを演じる役者が下手だったらつまらない劇になってしまう』『逆に拙い脚本であっても、役者によっては面白い劇になることもある』『はじめから優れた脚本が書けるのであれば、何も実習に来る必要はないわけだから、ここは、まず演じてみることを経験してみなさい』というような説明をした記憶があります。案の定、その実習生はうまく授業をすることはできませんでした。
何故そんな指導をしたのかというと、その実習生は社会科の教師になるつもりはなかったことを私が知っていたからです。だから、授業の難しさ、そして面白さを実感してもらいたいと考えたからでした。
また、数年前、先生たちを相手に模擬授業をしたことがありますが、そのときは授業内容の面白さに、先生たちは結構たのしく授業に参加されていました。このときは、大人が思っている常識に対する意外性のある事実を取り上げていたことが、参加者を引き込んだ大きな理由でした。大学生ともなると、高校までに学んできた常識があるため、その常識では判断できないような意外な事実を取り上げて授業をすれば、同じような効果があるのではないかと思います。

何となくダラダラと書いてしまいましたが、授業参観後に言い損ねていたことを伝えられたのではないかと思います。
とにかく、遠く塩田の学校まで授業を参観しに来てもらい、ありがとうございました。本当に楽しい時間でした。またのお越しをお待ちしています。
Commented by shin-pukupuku at 2018-03-15 09:21
コメントありがとうございます。コメントを読んで、先日の授業の意味がさらに理解できました。貴重な授業を私のために提供していただき本当に感謝します。また、機会がありましたら、伺うことがあるかもしれません。その時はよろしくお願いしますね。
by shin-pukupuku | 2018-03-14 10:02 | 教育関係 | Comments(4)

なにやら思いついたことをつれづれなるままにⅡ


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