教師責任の追及

 大川小学校の判決について、有識者のコメントに共通するのは、学校教師にとってはきびしい判決であるということでした。南日本新聞では、宮城教育大学の田端教授が、「教員に科学者の知見を超えた想定を強いるのは無理があると感じる。教育現場に厳しい内容だ。…子どもの命を最優先に、現場が疲弊しないように、何に優先して取り組むか精査してほしい」と述べていました。
 河北新報では、和光大学の制野俊弘准教授が「…現場にとって非常に厳しい判断と言える。…『学校の多忙化』という大きな関門がある。教員の業務量は既に限界を超えている。…今後はあらゆる教科や行事などを命という視点で総点検した上で、地域住民と防災についてじっくり話し合う環境整備を進めなければならない。それが大川小の共有を引き継ぐ最善の道ではないか。」と述べていました。
 両者に共通するのは、多忙化で疲弊している現場において、今回の判決はさらに多忙化を生み出してしまう可能性があり、現場に要求するレベルとしてはハイレベルであるという内容でしょう。
 昨日、飲み会の席で、私が「判決を教材にして、学校・教師を信じてはだめだということを児童生徒たちに教えることは果たして学習として成立するのだろうか」ということを参加者に呼びかけました。
 すると数人の仲間から、「いじめ」と関連付けるとどうなんだろうかというアドバイスをいただきました。いじめ授業では、「学校教師の責任を追及」しました。それは、教える教師自身としてはかなりきびしいハードルでした。しかし、授業実践を重ねていく中で、必要不可欠であることを理解していきました。それと同じことが今回の大川小学校の判決でも問われているのではないかということを仲間たちから教えてもらいました。
 有識者のコメントは今後の学校現場を見据えてのものなのでしょう。しかし、多忙化の問題でいじめを見逃してはいけないように、災害に対するハザードマップの見直しやマニュアルの想定をしなかったというのは、判決の通りに学校側の責任を看過することはできないことでしょう。そして見直しの指示をしなかった管理職、およびそのことを指導しなかった教育委員会は、やはり責任を問われるということなのでしょう。
 2009年に学校保健法が改正され、学校保健安全法が施行されていました。その3章には、学校安全がきちんと位置付けられ、第27条には、学校安全計画の策定が位置付けられています。東日本大震災の2年前にはすでにこの法律が適用され、学校は教育委員会指導のもとで、計画を立てていなければならなかったのです。それにもかかわらず、災害時のマニュアルは杜撰なものであったことを悲劇が物語っているのです。
 私は現場教師の多忙化とその苦労ということは実感をもって理解しているつもりです。しかし、今回のこの大川小だけに起こった多数の被害者の事故は、いじめ自殺が起こった学校の状況と同じで、学校教師が見逃してはならなかった問題があったのだと思います。それはまさしく災害においてどのように児童生徒たちの命を守るかという準備とその準備を喚起する予見可能性だったのだと思います。

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by shin-pukupuku | 2018-04-30 17:16 | 教育関係 | Comments(0)

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